相棒

 罠を仕掛ける為に兵士たちは乗ってきた軍用車から色々な工具を取り出して港の中に散って行った。
 コアントロゥとあらかじめ作戦を話し合い、罠の場所を確認する為に建物から出ようとしたとき、コアントロゥがアースを呼び止めた。彼の横に居たファルシオンも振り返る。
「あんた、独立戦争のときに傭兵部隊にいたよな?覚えているよ」
 先ほどよりも幾分か気さくにコアントロゥはアースに話しかけてきた。よく見れば二人は同年代にも見える。
「俺も第五歩兵隊として戦場にいたんだ……イザラと同じ部隊で、同じ地区出身だったからあいつとは仲が良かった」
「へぇ、イザラと同じ部隊?……悪い、覚えていないな」
 あごに手を当ててアースは呻く。コアントロゥは苦笑した。
「いいさ。俺は貧弱な通信兵だったしな……。静かの森で野宿したときに食べた料理は覚えているか?」
「それは覚えてるよ」
「……あいつの作った飯、美味かったよな。あんたを見て思い出したんだ」
 コアントロゥは苦笑の形に口元を歪ませたまま、目を伏せた。
「あいつが死んだとき、あんたが真っ先に駆け出していったんだよな……」
「…………。」
 アースの肩を軽く叩き、彼は去りながら呟いた。
「戦場では良い奴から死んでいった。あんたも気をつけろよ」
 外に出ると止みかけていた雨が再び激しく振り出していた。
 港をうろうろしているアリアとルージュを横目にファルシオンは時計へと視線を落とす。
「あと四時間か……俺も街の方で居場所の確認をしてくるよ」
 波止場に居るパンプルムーゼに声をかけに行くと、彼女は顔をしかめて海の方向を見ていた。
「何か探しているのか?」
「相棒がもう近くにいるはずなんだが……波に流されたか?まぁいいや」
 彼女を連れて地図を片手に街の中へと向かう。昨日ノチェロと行ったラップサンド屋の近くに、確かに塔が建っていた。ちょうど港と街の境目にある。
 塔の上にはすでに兵士がいた。彼が上から声をかけてくる。
「そっちの建物の屋上にいい場所がある。見てくるといい」
 礼を言い、ファルシオンたちは示された建物の下に向かった。
 使われなくなった倉庫だろう、潮風に晒されて錆び付いた扉の前に立ち彼は屋上へと飛ぶ為に虚空に指で文字を描く。パンプルムーゼの腕を掴み、一緒に倉庫の屋上へと飛び上がった。
「へぇ。ここならよく見えるな」
 何も置かれていない、だだっ広い屋上からは港が一望できた。路地の繋がりや灯りの位置などを確認してファルシオンは言う。
「ここで俺たちは港から向かってくる奴らを防ごう……そういえば、あんたは何か武器を持っているのか?俺は術で足止めしようと思ってるけど」
「大丈夫だ。ちゃんとここに来るまでの間に種を仕込んでおいた」
「種?」
 自信ありげに応えた彼女に聞き返す。パンプルムーゼは腰に付いている小さなポシェットから瓶を取り出した。
「植物の種だよ。これで奴らを捕まえる。緑魔術は直接な殺傷能力こそないが、使いようによってはいかようにもできるのさ」
 それと、と彼女は虚空を見て口を尖らせた。
「相棒が私の剣を持ってきているはずなんだが……あいつ、どこに行ってしまったんだか。さっきから連絡も取れない。溺れ死んだか?ああ、底に沈んでいるのかも」
 その後もパンプルムーゼと作戦を練っていると、下の路地から声が聞こえたので柵を越えて見下ろした。恋路とルージュが歩いている。罠を仕掛けてきたらしく、彼らに声をかける。
 ルージュを抱えて軽々と屋上まで登ってきた恋路は、雨でくしゃくしゃになった地図に印をつけた。
「こことここ、こっちにも仕掛けておいた。街に入ってる兵士の奴らにはもう知らせてある」
「レンジくんが追い込んで、私が罠を動かす計画よ」
 恋路とルージュの説明を聞きながらあごに手を当て考え込む。
「この交差点とかにも仕掛けた方がいいんじゃないか?」
「兵士たちが何か作っていた。後でしっかり罠の場所を聞いてみないとな」
 二時間後に一度港に集まる話になっていたので四人は共に港に向かった。
 あれだけ賑わっていた港の露店通りも今は誰も居ない。兵士が一人通りに立って誰かと連絡を取っているのが見えた。そしてその先の海には動かない黒い船がある。何も動きを見せず、ただじっとこちらを見ているかのような黒い船の中では着々と侵攻の準備が進められているのだろうか。
 海上警備局の建物まで歩いていくと途中でルージュが立ち止まって海の向こうを見ている事に気づいた。ファルシオンも立ち止まって彼女に声をかける。
「ルージュ、何を見てるんだ?」
「ファルシオンくん、あれ……」
 ルージュの指が示した方向へと視線を向ける。ファルシオンは絶句した。
「あれが……」
 何もなかったはずの海の向こうに、ぼんやりとだが世界の続きが見えたのだ。いつ見ても切り取られたように向こうのなかった世界。それが今変貌していた。ルージュが呟く。
「今まで何も見えなかったのに」
「むこう側……ってやつかな?」
「あんたらが世界のむこうを認識したから見えるんだよ」
 背後から声をかけられ振り向く。アースがこちらに歩き近づいてきていた。
「まぁ、結界が弱まっているからってのもあるけどな」
「あんな近くにむこう側があったなんて……」
 その事に気づかないまま暮らしていたという事実に、ファルシオンは得体の知れない不気味さを覚えた。アースが肩をすくめる。
「全世界に比べればこの結界の中の世界は小さいものさ。俺たちの力では小さな大陸を覆う程度の結界が限界だった」
「……どうして結界を造ったの?」
 ルージュが率直な質問を投げかける。
 彼女にも簡単にアースの正体について教えたが、意味を理解しているのかしていないのか、少し驚いた様子でそうなんだと呟くだけだった。
 彼女の問いにアースは苦笑いを浮かべた。答えに困っているようだ。それを見てルージュは小首を傾げて言う。
「何かを……守ろうとしたんですか?」
「全部を守ろうとしたが、俺たちの力じゃ自分の手の届くとこにいる奴らしか守れなかったんだ」
 自分の手を──大きな掌を見つめてアースは皮肉げに笑う。
「……原初の野獣なんて呼ばれているが、なんて事はない、俺たちは大層な力なんて持っちゃいねぇさ」
 ──彼は人として生きている。それは狂気の沙汰だよ──
 唐突にパンプルムーゼの言葉が脳裏に蘇る。
 と、ルージュがアースの大きな手を軽く握った。彼女は珍しく語気を強めて言う。
「駄目です、そんな弱気な事を言ってたら」
 彼女はアースの手(彼の手は大きいので指部分までしか掴めていなかったが、)を握ったまま街を示す。
「これからあなたがこの街を守るんだから、そんな事言っちゃ駄目ですよ」
 手を握られて目を丸くしていたアースがにっと笑う。
「そうだったな。ああ、そうだ」
 満足そうに頷いてルージュは先に行ってしまった恋路たちの後を追った。
 小さくため息をついてアースがこちらに笑いかける。
「……あれは惚れちまうな」
 はは、と笑ってファルシオンは短く頷いた。
 建物内に辿り着くがアリアの姿が無かった。
 どこに行ったものかと建物から出て港を見渡していると、彼女が波止場の方から走ってくるのが見えた。
「ファルシオーン」
 彼女は自分が走ってきた波止場を指差して言った。
「アリアが作ったわなになんかかかった」
「は?なんかって……」
「つのがはえた人だったよ。変なことばでしゃべってた」
 それを聞きファルシオンは表情を強張らせる。獣人──?
 と、建物から出てきたパンプルムーゼがこちらを見て腕を上げた。
「ファルシオンくん。相棒が──」
「獣人が港にいる。見てくる!」
「あ、いやそれ、たぶん──」
 パンプルムーゼが何か言いかけていたが、聞き終える前に彼はアリアを連れて波止場へと駆けて行った。
 足の速いアリアを追って港を走り抜ける。倉庫を抜けたところで彼女は地面を指差した。
「あのわなになんかいる」
「何だあれ……落とし穴?」
 海に面したコンクリートの地面にはぽっかりと穴が開いていた。穴の周りには割れた木の板が散らかっている。それを蓋にしていたのだろう。
 慎重に落とし穴に近づいて中を覗く。ファルシオンは顔をしかめた。
「……ワカメしか見えない」
 穴の中にぎっしりと詰まったワカメがもそもそと動いている。確かに中に誰か落ちているのだろうが、その姿は確認できない。アリアが説明しだす。
「あなが開いてたから、アリアが中にいろいろつめておいた。そこらへんに落ちてたワカメとかナマコとか魚の頭とかウニのからとかあみとか」
「ええー……」
 効果に疑問符を浮かべるファルシオンに彼女はポケットから何かを取り出して見せた。ライターだ。
「だいじょうぶ。あなの中に油も入れてある。ワカメがからまってうごけなくなったところにこれ落として焼く」
「誰だ、そんな危ない事教えたのは!」
「えー。ルージュがそうすればいいんじゃないって言ってたのにー」
 渋々ライターをポケットにしまってアリアが穴の中を見下ろす。
「どうするの、これ」
「どうするっつったって……」
 腕を組んで考えているところで突然穴の中から腕が飛び出てきた。驚いてアリアが再びライターを取り出す。
「やっぱり焼こう」
「こらこらこら」
 すんでのところで彼女を止めて、ファルシオンは身構える。
「顔を出したら術で吹っ飛ばそう」
「焼き殺すのとそう大差ないと思うが」
 背後から声が聞こえてぎょっとして振り返る。背後には息を弾ませたパンプルムーゼが立っていた。彼女は呆れ顔で落とし穴に近づく。そして落とし穴の中でもがく人影を見下ろしため息をついた。穴から伸ばされた腕を掴み上げてさらに深いため息をつく。
「ああ、やはりな」
 穴から引き上げられたのは二本の角を頭から生やした獣人の男だった。
 彼はパンプルムーゼの姿を見ると泣き出して彼女にしがみ付いた。パンプルムーゼが悲鳴を上げて彼を蹴飛ばす。
「ひっつくな!連絡がないと思ったら、何しているんだお前は!!」
「──!──、──!?」
 さめざめと泣きながら男は必死にパンプルムーゼに何か話しかけている。全てを聞き終えた後、パンプルムーゼは唖然としていたファルシオンたちに向き直って男の頭を指でつついた。疲れきった声で彼女は言う。
「……これが、例の私の相棒だよ……」



「いや〜どうも、こんにちわ。ぼくはティフィン・アリエスと申します〜」
 間延びした声で彼──ティフィンは自己紹介を始めた。
「パンプルムーゼと同じ部署で働いています〜。あ、でもぼくは親のコネで入った身なので肩身が狭いですね〜。部長にはいつも脳みそ発酵野郎と言われてますががんばってまーす。いつか昇進して楽な課につきたいですから」
 何故か一昔前のアイドルのようなポーズを取りながらティフィンは胸を張った。
 椅子に腰掛けそれを見つめていたファルシオンは無言で回りを見渡した。なんとなく皆の反応を見たかったからだ。
 すぐ横に居たアリアは興味深そうに彼の耳を見つめていた。アースの耳とはまた違った、真っ白な毛の生えた垂れ耳をティフィンは持っている。
 ルージュはぼんやりとしているように見えた。いつも彼女はぼんやりとしているのであまり変化はない。
 部屋に置かれてある机の上に腰掛けていた恋路は、口を半開きにして半眼でティフィンを見つめていた。彼が考えている事はわかる気がする。きっと今の自分と同じ事を考えているだろう。もしかして表情も同じかもしれない。
 アースは頬杖をついてティフィンの話を聞いていた。若干疲れた様子で。
 パンプルムーゼに関しては視界にすら彼を入れようとしていない。
 行き場の無い脱力感を他の者も感じている事に満足にして、ファルシオンは視線をうすら寒い空気が漂い始めた部屋でそれをまったく気にしていないティフィンに戻した。
 彼は羽織っていた服(油で汚れた為に廃棄していた)の下に、パンプルムーゼと同じような服を着ていた。やはり制服だったのだろう。
 癖の強い淡いベージュ色の髪に真っ白な肌を持つ青年で、頭部に生えた二本の角の形から羊か山羊の獣人ではないだろうかと推測した。勝手な推測だが。
 ティフィンが話を続ける。
「あ、ぼくとパンプルムーゼはですね、ケルヌンノスの遺武具管理課にいます〜。
 遺武具管理課っていうのは、そうですね〜、呪われた武具とか、強大な力を持つ装置とか、そういった過去の遺産を管理する課になります。まあぶっちゃけ閑職ですね〜、一日中倉庫にこもって変な剣とか不気味な装置とか管理してるところですから。この前もパンプルムーゼと一緒に倉庫の上から魚釣りをして食料確保に勤しんでいました〜。他の課からは給料泥棒とか言われてますけど気にしてません〜あはは」
 それで自己紹介は終わったらしい。長い沈黙の後、ティフィンは横に立っていたパンプルムーゼを見つめる。
「……ムース、本当に皆さんにぼくの言葉、翻訳されてるのかな〜?」
「大丈夫、呆れて何も言えないだけだ」
「ああ、そうかー……ええー、今の話のどこに呆れるんだい?」
 おっとりとした表情で疑問符を浮かべる彼に頭を抱え、パンプルムーゼは唸るように言った。
「それで、奴らの様子はどうだったんだ。お前の自己紹介はどうでもいいんだよ」
「あ、そうだ。それを教えに来たんだよね」
 ぱっと顔を上げてティフィンは指を折りながら説明した。
「えーとですね〜、あの集団は部隊編成されています。リーダーのリゲル・パントラ……あ、リーダーの名前ですね〜、彼は元々軍人でしたから」
「元軍人の集まりに、ならず者や犯罪者も集まって組織された武装集団だ」
 パンプルムーゼが補足する。それを聞き頷いて彼は続ける。
「リゲル・パントラは幻想人の血を濃く引いている、強力な術士でもあります。彼の元には同じく術を扱える事のできる術士が残るでしょう。侵攻直後は後方支援に徹すると思います。転移や補助魔術などの手助けですかね」
「あの、ちょっと聞きたいんだけど」
 そこでファルシオンは手を上げた。ティフィンが振り向く。
「はい、紫の人、何でしょうか」
「その転移って魔術で……あの砦跡に一気に来たりはしないのか?」
「彼の感覚域はあの場所まで届いていないので、それは大丈夫かと思われます。転移魔術って結構危険ですからね〜、感覚域外にまで飛ばそうとすると成功確立はかなり下がってしまうので……感覚域外に無理やり転送して、内臓だけ向こうに届いてしまって転移者が死亡、なんていう例もありましたから」
「リゲル・パントラの感覚域は港までと考えていいだろう。先ほど転移してきたときもかなりの術式を施して来たからな。こちら側では感覚域が狭まるようだ」
「ふぅん」
 ティフィンとパンプルムーゼの説明を聞きながら、感覚域という聞きなれない言葉を自分なりに解釈してファルシオンは納得する。
 ええと、と頭を掻きながらティフィンが話を続けた。
「その砦跡、という場所にこの街の長がいる事は彼らに感づかれているので、そこを死守しないといけないですね〜。皆殺しとまではいかないにしろ、彼らはこの街の住人たちも始末するはずです。そしてこの街に自分たちの国を造ろうとしている。彼らは他の反政府組織とも連絡を取っていましたので……」
「……フェンリスの手の届かないこちら側で勢力を伸ばすつもりか」
 アースが小さく呟くのが聞こえた。
 その後相手側の装備や各隊の特徴などを説明し終えティフィンが手を上げる。
「ぼくは後方支援に回りたいと思います〜。皆さんお強そうなので足手まといになりそうですから。あ、魔術は得意なのでまかせてください。転移や治癒、連絡もぼくが仲介します」
 思わずパンプルムーゼに視線を向けると、彼女は苦笑した。
「こいつはそれだけが取り柄でケルヌンノスにいるんだから。腕は確かだよ」
「ムース、ひどいよぉ〜」
 悲しそうにパンプルムーゼに擦り寄って蹴飛ばされる彼を見ていまいち安心できなかったが、少ない協力を断るわけにもいかなかった。
 ファルシオンは時計を見る。
「……後一時間を切った」
 外は薄暗くなってきていた。もうすぐで日が沈む。