獣人

「日没と共に我々はこの街へと侵攻します。それまでに住人たちは素直に逃げるならそれでよし、交戦するというのであれば血を見る事になります」
《それを俺が黙って見過ごすとでも思っているのか?》
 虎耳の男の言葉に獣は静かな声で問い返した。静かな声だが明らかにその言葉には威嚇の意味が含まれていた。しかし虎耳の男は首を横に振る。
「戦って奪う……それだけしか持ちえぬ集団です、我々は。そうしてむこう側で生きてきたのですよ」
《……ならば容赦はしない。その覚悟はあるんだな?》
 そこで初めて、今まで黙っていた犬耳の痩せた男が口を開いた。外見的には三人の中で彼が一番若かった。
「どうして、べへモト、貴方はこちら側に組するのですか……?」
「止めなさいシリウス」
 兎耳の女がたしなめるが、構わずシリウスと呼ばれた男は獣に向かって言葉を投げかける。
「我々を何故置いて行ってしまったのですか!?どうして人間種族だけを楽園に住まわせたのですか!我らが王よ!」
《…………》
 獣は何も応えなかった。真摯な眼差しを向ける若い獣人をまっすぐに見つめている。
 と、後ろで恋路がパンプルムーゼに問いたずねている声が聞こえた。
「……フェンリスは、結界の事をなんて言っているんだ?」
「結界……ですか?世界崩壊後に、べへモトとアシャ・ワヒシュタが強行的に執行して世界を分断したとしか……わずかな生命だけを楽園に迎え入れてむこう側の生命を見捨てた、と大総主は言っていましたが」
「……好き勝手言ってくれやがるな。だから俺あいつ嫌いなんだ」
 そう呟きながら恋路が獣の横に立った。獣に言う。
「どうする。言っちまえばいいんじゃねぇのか」
 だが獣は耳を垂れ下げて応えた。
《……今更言ったところで何も変わらないさ。むこう側に住む者にとっては……見捨てられたと思うしかないだろう》
 顔を上げ、獣は犬耳の男に言った。
《……おまえは家族はいるのか?》
「え?」
 獣の問いに犬耳の男は目を丸くするが、すぐに暗い表情で答えた。
「……俺が小さい頃に、政府の鎮圧部隊に村ごと焼かれて家族は皆死にました……。あの船に乗っている奴らは皆似たようなものです。誰もがむこう側に居場所がない」
《だからこちら側の地を奪おうとするのか?》
「ええ……そうです。何故俺たちだけあんな場所で惨めに生きなければならないのか、わからないからです……!だから奪うんだ!」
 徐々に興奮した物言いをしだした犬耳の男を下がらせ、虎耳の男が獣に宣言した。
「彼の言った通りです。我々は失うものなどない。ただ奪って自分の物とするだけです。この街を我らの地とします」
 そして獣に一礼をし、首元に奇妙な紋章のような模様を浮かび上がらせた。同時に彼らの立つ地面にその模様と同じものが浮かび上がる。それが転移魔術だとファルシオンは理解した。
 三人は光に包まれる。そして消え去る瞬間、虎耳の男はこう言い残した。
「──日没後、再びこの場所に参ります。それが最後の警告となりましょう……それでは」
 現れたときと同じようにして三人は消えていった。
《……説得は失敗、か》
 獣がため息をつく。
 それを聞きシャルトリューズが青い顔で聞き返した。
「戦争が……また、始まるの……?」
《このままじゃあな。攻撃を受けてこの街の連中も黙っちゃいないだろ》
 彼の言った通りいつの間にか港には武装した警備員の他、大掛かりな装備をした軍属らしき人々が集まっていた。
 展望台からそれらを見つめながらファルシオンは獣に聞く。
「どうする?……正直、あんな魔術とか使われたら、銃とか爆弾とか、人間の兵器は役に立つのか疑問だけど」
「いや、獣人のすべてがあのような術を使えるわけじゃない」
 パンプルムーゼが横に立つ。
「元々たいした魔力は持っていない種族だ。幻想人との混血で魔術を手に入れた者もいるがそう多いわけでもない。今現れた虎耳の男はあの集団のリーダーで、確かに強力な魔術を使うが……」
《魔術よりも脅威になるのはやつらの生命力だ》
 獣の言葉にパンプルムーゼが頷く。
「そう。多少の傷ならすぐに治ってしまうし、強靭な肉体を持っている為に戦うとすれば厄介な種族だ。それこそ一撃で頭を潰すか、再生不能な傷を負わせるかしないと勝てない」
《人間が立ち向かってそう勝てるものじゃない。ましてや奴らは夜に来る……夜の獣人はますます厄介だな》
 獣は下に集まりだした軍の元に行くと言った。
 だがその前に、とシャルトリューズに何かを頼み込む。それを聞いてシャルトリューズはきょとんとした表情を浮かべた。
「──え?服持って来いって?どうしてよ」
《いやだからさ、このままの姿で行くわけにいかねぇだろ》
「……さっきまで着てた服どうしたのよ」
《あ、えーと、あの服……》
「……ええっ?破れちゃった!?何してるのよ、あの服この前買ったばっかりだったのに!」
《わ、悪ぃ……》
「しばらく買ってあげないからね、服!もう!」
 夫婦喧嘩をし出した彼らを見て思わずファルシオンは笑ってしまった。パンプルムーゼも、どこの家庭も同じだなと言って笑っていた。
 人の姿に戻ったアースはシャルトリューズが持ってきたTシャツとジーンズを着、海上交通局の建物に隣接する湾岸警備局に向かった。ファルシオンとパンプルムーゼもついていく事にした。
 湾岸警備局の建物にも多少の被害はあるものの、業務に支障をきたすほどのものでもないらしい。対策本部として急遽拵えられた一室に入り、ファルシオンは慌しく走り回る人々を眺めていた。
「避難は終わっているのか!?」
「港区の住民たちは強制避難させました!ですが市街地の住民たちは皆家財を持ち出そうとして遅れているらしく……」
「機関銃でも撃って追い出せ。砦跡にさっさと避難させろ!」
「反撃するなだと!?こちらはすでに被害を受けているんだぞ!」
 いくつもの怒号が行き交う中で、部屋の奥、重厚な机に座っている人物が声を荒らげるのが聞こえた。六十代半ば程の厳つい顔付きの男で、右目に眼帯をしている。この街の自警軍──この街の自警団は軍と呼べるほどの力を持っているらしい──の、隊長だという。
「このまま黙ってこの街が蹂躙されるのを黙って見ていろというのか!」
「だがあんたらの武器じゃあ奴らに勝ち目はないぜ」
 隊長を説得してるのはアースだ。机に手を乗せ身を乗り出すようにして隊長に言う。
「奴らは容赦なくこの街を侵略しに来る。そうだな、あんたたちの持つ兵器で迎え撃つとするか──動きの鈍い戦車でも持ってくるか?動きの早い奴らに回りこまれてすぐに操縦者は惨殺されるだろうな。後は何があるか……機関銃で一人ずつ蜂の巣にしながら防いでみるってのも手だが如何せん非効率的だ」
「ではどうしろというのだ……!そもそも、奴らは何者だ!?」
 二人の攻防は続いている。部屋の隅でそれを見ていたファルシオンは視線を外し、興味深そうに湾岸に並べられた銃器を見ていたパンプルムーゼに尋ねた。
「……あの船に何人乗っていると思う?」
「八十七人。内二十五人が魔術を扱えるそうだ」
 きっぱりと答えた彼女の言葉に眉を上げる。
「どうしてわかるんだ?」
「さっき、奴らの船から脱出する途中で離れ離れになってしまった相棒とコンタクトがとれた。あいつは船の中で様子を伺っていたようだ」
「相棒……ああ、言ってたな。その人もあんたと同じ森人?」
「いや、彼は獣人だよ。……だから連中に見つかったとき、自分は下働きで雇われたしがない者ですと言ってまんまと居座れたみたいだ。今は厨房でただひたすら食料の鶏の羽をむしる作業をしているらしい」
「ふぅん」
 パンプルムーゼは誰かと交信しあっているようだった。その相棒という人物とだろう。やや間を空けて眉をしかめる。
「……うん?私に愚痴られても元はお前のせいだろうが。お前が腹が減って我慢しきれずに隠れてた場所から飛び出したから見つかったんだろ。それにお前、私は死にかけたんだぞ」
「彼とは合流しないのか?」
 ぶつぶつと独り言のように相棒と話している彼女に聞く。パンプルムーゼはしばらく黙っていたが頷いた。
「隙を見てこちらに来るそうだ。まぁ頼りにならん奴だが、いないよりはマシだろう……うるさい、本当の事だろ」
 見えない相棒と喧嘩をし始めたパンプルムーゼを置いてファルシオンは視線を再びアースたちへと向けた。
 隊長は激昂しているようだった。かなり身長差のあるアースの胸倉を掴みあげている──それを数人の部下が止めに入り、彼らの周りは緊迫した空気が流れていた。
「我々は、昔から戦って自由と平和を手に入れてきた!それを脅かすものには屈服などしない!」
「それで街の住民を危険に晒すってのか?戦争を知らない子供たちがようやく生まれてきたというのに、再びここを戦火に巻き込む気か!」
 アースも負けじと言い返している。胸倉を掴んでいる隊長の手を払いのけると、彼は言った。
「だから、あんたたちは砦跡で住民を守ってくれていればいい──奴らは俺がどうにかする。頼むから攻撃は仕掛けないでくれ」
「そんな事──」
「この街の住人には手を出させないし、むこうの連中も死なせやしない……!俺に任せてくれないか」
 そこまでアースは言い切った。
 言葉を失った隊長は払われた手を力なく下ろし、深々と嘆息をして、椅子に崩れ落ちるように座り込む。そして囁くようにうめいた。
「……君は、あの連中と同じ種族らしいな」
「……そうだ。俺も獣人だ」
 アースは頷く。ニット帽を失くしてしまってからは彼は獣の耳を剥き出しにしていた。
 机の上に広げられた街の全体図を見つめて隊長が続ける。
「どうして君はこの街の為に戦うんだ……ここが君の故郷というわけではないだろう」
 その問いにはファルシオンも興味を持っていた。
 獣人であり、強大な力を持つ“原初の野獣”と呼ばれる存在でありながら、何故この地にこれだけ思いを寄せているのか。
 アースは苦笑を浮かべていた。頭を振りながら言う。
「友人が、この街の為に死んだ」
 彼は窓の外を見る。あいかわらずの雨模様だったが、彼は眩しそうに目を細めて外に広がる海を見ていた。その光景をどこかで見た事にファルシオンは気づいた。以前本当の父親の事を話してくれたノチェロと同じ眼差し。友人とは、ノチェロたちの──。
「この街に住む家族の為に死んだんだ……俺はそいつと約束したんだよ。代わりに見守り続けると。家族と、生まれ育った街を。理由なんてそれだけさ」



 自警軍は港から撤退して行った。重いエンジン音を響かせて砦跡へと去っていく軍用車を見送っているアースに声をかける。
「あの隊長さん、よく要求を呑んでくれたね。まぁ自分の軍に被害を出させたくないってのもあるだろうけど」
「お前さんたちは行かなくていいのか?」
 港に残った仲間たち──アリア、ルージュ、恋路の姿を見てアースは苦笑した。ファルシオンは肩をすくめて応える。
「船も出ないし、こういう事にも慣れているし、今更見過ごす事もできないよ……あんた一人で十分だって言うなら逃げるけど」
「手助けしてもらえるほうがありがたい」
 素直に協力を求めて彼は腕を組んだ。
「どうにかしてあの船の連中を止めたい……殺すなんてのは無しで、だ」
「難しいな。特にあっちは殺る気満々なんだろ」
「できれば私からも頼みたい」
 すぐ傍の堤防で不思議な形をした望遠鏡らしきレンズで船を見ていたパンプルムーゼが、飛び降りて口を開いた。
「あれだけ緘口令が敷かれた状態でも、楽園の噂が民に広まっていた……今回の事であの連中がこちら側の人間種族に殺されたという事がもし広まるとなると、さらにこちら側への風当たりは強くなる。ただでさえこちら側の存在を隠しきれずにいる状態なんだ。
 奴らは捕まえるだけに留まってほしい。もちろんこちら側の人々にとっては理不尽な事だろうが」
「捕まえてその後はどうするんだ?」
「奴らの船にいる相棒が本部と連絡が取れたらしい。
 今、どういうわけか結界は非常に不安定な状態になっている……この機を逃すまいと政府の術官たちが一斉に結界の制御柱を攻略していて、そのうちの一つを奪取する事に成功した。わずかだが結界に隙間を作る事ができる。その隙間を通って本部の部隊が明朝にでもこの街へ到着するはずだ。その船に彼らを乗せてむこう側に帰るよ」
 離れた場所にいる相棒に確認を取りながら、ファルシオンの問いにパンプルムーゼはそう答えた。
 雨はまだ止まない。先ほどラジオから流れた天気予報では雨が止むのは明日になるという。腕時計を見ながらファルシオンは呟く。
「日没まで後五時間ってとこか……」
 黒い船は海の上からこちらをじっと見据えるかように、動かなかった。



 七人の自警軍の兵士が砦跡から湾岸警備局の建物に戻ってきた。
「この街の構造を把握している者が必要だろう?それに、我々も手をこまねいて砦に篭っているわけにはいかない。隊長には行くなと言われたが……この街は俺たちが生まれ育った街だ」
 兵士の中でリーダー格の青年がそう言った。アースは協力の申し出を聞いて肩をすくめた。彼らの言い分もわかるのだろう。
 誰も居なくなっていた湾岸警備局の会議室に篭り、ファルシオンはそのまま置いていかれていた街の地図を広げ机の上に置く。
「彼らは何処を目指して侵攻してくるだろう?」
 ファルシオンが疑問を口にする。
「やっぱり砦跡かな?」
「船の上から彼らもこちらの動きを監視していた……住民たちがあの山の上の砦跡に篭っているのは目撃されているだろうな。この街の権力者はそこに?」
 パンプルムーゼの言葉にリーダー格の青年──コアントロゥと彼は名乗った──は頷く。
「自警軍の隊長及び街の代表たちも砦跡にいる。あそこを落とされたらこの街は終わりだな」
 彼は地図上に数ヶ所、赤いペンで印をつける。
「この街は昔から戦が多かった土地だ……だから海から簡単に攻め入られないよう、道は入り組んだものになっている」
 確かに地図上で見る限り、港から山の上の砦跡までに至る道は複雑で土地勘のないものには困難に思えた。
「砦は元々はこの街の領主が住んでいた城で、塀に囲まれているし門までの道は一つしかない。造られてから一度も陥落したことの無い砦らしいからな……前の内戦でもあそこだけは落とされなかった。
 住人はこの街に残ったものはみなそこに居る。自警軍が守っているし、食料も物資もまだまだある。心配は要らない」
 コアントロゥは淡々と説明して自分が印した場所の一つに指を置いた。
「奴らはこの辺りで迎え撃つのがいいと思う。この前の路地で恐らく分散するだろうから……右の路地は行き止まりになっている。この塔の上からでも攻撃すればいい。左の路地は細くなっているから、奴らもまとまって向かってはこないだろう」
「まず、俊敏な草食系獣人が第一陣として突撃してくるだろうな。彼らはあまり強い力は持っていない……肉食系獣人と比べての話だが。罠などを仕掛けるといいと思うが」
「じゃあこの付近に何か仕掛けよう」
 パンプルムーゼの提案にファルシオンは置かれていた黄色のペンで地図に丸をつけた。彼女はそれを見て小さく頷き、話を続ける。
「その後に来るだろう肉食系獣人は厄介だ。半端じゃない体力を持ち力もある。なるべく遠距離から、一人ずつ対峙したいところだが……この塔から狙うか」
「狙撃手ならいる」
 兵士二人が名乗り出た。彼らは狙撃用のライフルを肩に担いでいた。
 銃を知らない(むこう側には銃器の類は無いらしい)パンプルムーゼに簡単な説明をしてからファルシオンも手を上げる。
「俺もここに行くよ。彼らとは違う場所から狙う」
「なら俺たちも役割分担をするか」
 アースの提案に皆は集まってそれぞれの持ち場を決めた。兵士たちも地図の前で作戦を話し合う。
 と、それまで珍しく静かに椅子に腰掛けていたアリアが立ち上がってファルシオンの腕を引いた。
「どうした?」
「アリアも手伝う」
「ダメだ。君はルージュと一緒に砦跡に行ってな」
「アリアの力、やくにたつよ。だれがどこにいるかわかる」
 アリアはそう言って引き下がらない。
 彼女の力は鼓動の音を聴き分けある程度操作する事ができる。その利便性にファルシオンは腕を組んだ。
「それはそうだけど……やっぱり危険だ、連れて行けないよ」
「やだ。アリアもここに残る」
 首を横に振るアリアの頭に大きな手が置かれた。
「お嬢ちゃんは便利な力を持っているんだな?」
 アースを見上げてアリアは頷く。
「鼓動の音をアリアは聴くことができる。夜でも雨でもかんけいない。港の広さだったらだいじょうぶ」
「よし、じゃあお嬢ちゃんは俺と組もう。遊撃隊だ」
 彼はそう言ってアリアに握りこぶしを突き出した。小さいこぶしをアリアも突き出し打ち合わせる。
「そんな顔するなって。大丈夫さ、危険な目には合わせない」
「確かに彼女の力は役に立つと思うけどね……」
 渋るファルシオンの肩を叩きアースは陽気に笑った。
 それを見ながら今度はルージュが小さく手を上げる。
「私は何をお手伝いすればいいの?」
「君は砦跡にぶっ」
 言いかけたファルシオンの口元を押さえるように思い切り叩いて、静観していた恋路がルージュに視線を向けた。
「あんたは俺の手伝いをしてくれ。罠を張りに行くぞ」
「うん。わかったわ」
「ちょっと、なんでぶべっ」
 詰め寄ったファルシオンの顔面を再度叩いて黙らせると、恋路は半眼で呟いた。
「人手が足りない事ぐらいわかってんだろ。ぐだぐだ言うな」
「何で叩くんだ!」
「じゃあ私は仕方がないからファルシオンくんと組むか」
「そんな、残り物みたいに言わなくても……」
 パンプルムーゼの言葉に肩を落とすファルシオンを尻目に、アースはよーし、と威勢のいい声を上げた。
「やるか。この街を守り切るぞ」