ほんとうのおとうさん


 翌朝(昼も近いような時間だったが)起きて厨房に行くと、昨晩と同じような形でアースと恋路が客席に腰掛けていた。
 アースが軽く手を上げる。
「おう。お嬢ちゃんたちは街に買い物に行っちまったぞ」
「…二人で?」
 まだ寝ぼけている頭をかきながら辺りを見渡す。二人以外誰の姿も見えない。
「シェリーが連れてったよ。グレナデンも一緒だ。まぁ夕方くらいまで帰ってこないんじゃねーの」
「ふぅん…」
 朝食は彼の分もあったそうだがアリアが平らげてしまったらしい。ファルシオンは棚から適当な残り物を見つけて皿に盛る。
「こっちのパンももらっていい?」
「いーよ。今から俺も買出しに行かなきゃならんから、ここにあるもの適当に食ってろな」
 そう言ってアースは出かける準備をしてから店の裏にある車庫に向かった。古い車のエンジン音が聞こえ、遠ざかっていく。
 風通しの良いテラス側の席に座り、パンに生ハムを挟んで口に入れる。今日もいい天気だ。
 遅い朝食を食べ終えると彼は振り返って店の中にいる恋路に声を掛けた。
「お前は今日どうするんだよ?」
「俺は留守番だ」
 恋路はそれだけ呟くと目を閉じてしまった。そのまま寝るらしい。
 今日は何をしようかと考えながらファルシオンは食器を片付けて店から出た。海を見ながら道路を歩いていくと、ちょうど港から船が出港していた。遠目で見てもかなりの人が乗っているのがわかる。移民の国へ行くのだろう。
 特に行く所も無いのでそのまま中心街に歩いていく事にした。運がよければアリアたちに会えるかもしれない。海沿いの道路を進む。
 歩道には何人かの学生たちが歩いていた。おいかけっこをしながら坂を駆け上がっていく少年たちが横を通り過ぎていく。
 その後ろから一人で歩いてくる少年を見つけてファルシオンは立ち止まった。茶髪の小柄な少年。
(あれ、あの子…)
 少年が顔を上げてこちらを見る。彼も少し驚いたように目を丸くした。ファルシオンは笑いかける。
「おかえり。今日は早いな」
 だが少年は恥ずかしそうな表情を浮かべて視線を逸らした。ぼそぼそと喋る。
「…今日はテストの日だったから、半日で終るんだ」
 そのまま横を通り過ぎようとしたところで呼び止める。
「お母さんたち出かけてるよ。お父さんも。…よかったら一緒に昼ごはん食べないか?お腹空いてるだろう」
 先ほど朝食を取ったばかりだが一人にするのも可哀想かと思い誘ってみる。恋路では話し相手にならないだろう。
 彼は少しの間返事もせずに迷っていたが、小さく頷いて横に立った。彼の肩を軽く叩く。
「ノチェロ…くんだったっけ。君が食べるところ決めてくれよ。僕は全然知らないからさ」
「役所前のラップサンド屋で食べたい。シュリンプサンドが美味しいんだ」
 少年――ノチェロがそう言いながら少し笑った。彼は右上の前歯が抜けていた。



 道路沿いの客席に空いている席がなかったので、二人は近くの臨海公園のベンチに座った。
 ノチェロはシュリンプサンドを注文し、ファルシオンは迷った末にクラブサンドを注文した。確かに美味い。
「ここ、よくグレナデンと来るんだ。店が忙しいときとかに」
 ソーダを飲み終えてノチェロが言った。
「母さんたちが忙しいから僕がグレナデンの面倒をみてる。あいつ、すぐに知らない人に声をかけるから目を離せない」
「いいお兄ちゃんじゃないか」
 潮風を受けながらファルシオンが呟く。
 何気なく気になっていたが、ちらりと彼の横顔を盗み見てファルシオンはどうしたものかと考えた。殴られたような跡があったからだ。学校でケンカでもしたのだろうか。
「…学校は」
 遠回しに尋ねる。
「学校は、楽しいかい?」
「勉強は楽しい。けど、うるさい奴がいるんだ。今日も靴を盗られたからケンカになった」
 淡々とノチェロが答える。
「ジャンっていうんだけど、体が大きくて強いからっていつも回りの子に意地悪な事するんだ。昨日もクラスの女の子が泣かされてたから、僕が何するんだって言って止めたら…今日、仕返しに靴を隠された」
「ガキ大将はどこの学校にもいるんだねぇ」
 聞いた事のあるような話に苦笑する。
 ノチェロがこちらを向いた。
「…ファルシオンさんが学校行ってた時にもそういう事、あった?」
「僕は学校に行った事がないからなぁ、僻地暮らしだったから。
 一ヶ月に一回近くの学校から――ってもバスと船で一日半かけて来るんだけど――教師の人が来て、僕や他の島暮らしの子たちを大きな家に集めて授業をするんだ。で、次の月までにって宿題を大量に出して先生は帰る。だから他の子と会うのも月に一回位。たまに遊んだりもしたけど…皆良い子だったからケンカもしなかったね。なんせ僕を含めて五人の生徒だ」
 ファルシオンの話にノチェロは目を丸くしていた。
「…すごいや、そんな話初めて聞いた」
「他の子もそういう暮らしをしてるものだと思ってたから、大きな街に来たときは驚いたな。子供がたくさんいて学校がとても大きい」
 苦笑を返す。
「でも偉いじゃないか、いじめっ子に立ち向かうなんてさ」
「…女の人には優しくしなけりゃいけないって、お父さんがいつも言ってたから」
 ファルシオンの言葉に彼は俯いた。下を向いて急に悲しそうな表情を浮かべている。
 クラブサンドを包んでいた紙を丸めながら怪訝な眼差しをノチェロに向ける。視線に気づいたのかノチェロは顔を上げて潤んだ瞳をこちらに向けた。
「…本当のお父さんと約束したんだ。僕は男なんだから母さんと妹を守れって」
 ファルシオンは瞬きをした。聞き返す。
「…本当の…ってアースさんは」
「…あの人は僕らの本当のお父さんじゃないよ。本当のお父さんは、戦争で死んだ」
 唇を噛み締めてノチェロが言う。
「グレナデンはちっちゃかったから、本当の父さんの事覚えてなくて懐いてるけど…僕ははっきり覚えてる。とても優しい父さんだった。よく一緒に船に乗って釣りに連れてってくれたりしてたよ」
「…今のお父さんも十分優しいと思うけど?」
 ファルシオンの言葉にノチェロは小さく頷く。
「わかってる。あの人も優しいよ。…でも、僕は本当の父さんの事を忘れたくない」
 小さな手を膝の上で握り、彼は涙をこらえた目を海へと向けた。
「だって、母さんもグレナデンも父さんの事を忘れてる。母さん、父さんが死んでからずっと泣いてたけど…あの人が来て、最近は父さんの事を何も言わなくなった。きっと忘れたいんだ。あれだけ泣いていたのに…。
 だから僕は…僕だけでも父さんを覚えていなきゃ、父さんが可哀想でしょ?」
 ファルシオンはノチェロの頭を軽く撫でた。
 色々と誤解はあるのだろう。だがいつか、この少年が自分で気づく時が来る。
 アースはきっとその時まで何も言わず彼を見守っている。
 ノチェロは遠い眼差しで海のかなたを見ていた。その目にはきっと本当の父親の姿が映っていた。

 

* * * *



「あ、ファルシオン」
 後ろからかけられた声に振り返る。ノチェロと別れて一人商店街を歩いている途中だった。 
 背後にはアリアとルージュが両手に幾つかの買い物袋を持って立っていた。アリアが抱きついてくる。
「アリアたち、買い物してた」
「あれ、二人だけ?シャルトリューズさんたちは?」
 アリアの頭を撫でながらルージュに尋ねる。彼女は傍の店を指差しながら応えた。
「お店で使う食器を選んでいるわ。私たちは別行動で色々見て回ってたの」
「何買ったんだ?…なんだ、これ」
 アリアの持っていた袋を覗くと可愛くないぬいぐるみや、何に使うのか判らない不気味な置物が入っていたので興味なさげに顔を上げる。
 ルージュはここいらで買ったのだろう、見たことの無い鮮やかな花柄のワンピースを着ていた。日傘を傾けながら言う。
「まだシェリーさんたち、時間掛かるみたいだから…これから港の方に行こうかと思って」
「みなとの方によく当たるってうわさのうらないの人がいるってアリアは聞いた」
 ルージュの言葉にアリアが付け足す。
「占い師?」
「さっきご飯を食べたところで聞いたの。ちょっと面白そうじゃない?」
 特に目的も無かったのでファルシオンも彼女たちについて港に向かう事にした。
「何を占ってもらうんだ?」
「それはね」
「ないしょー」
 ルージュとアリアが目を合わせて笑う。
 港の近くになると労働者たちの姿が目立っていた。
 皆大きな荷物を持って船に乗り込んでいる。小さな子と妻に別れを告げて乗り込む姿も見えた。
「…あんなにたくさんの人が船に乗るのね」
「明日僕らも乗るけど…あれは乗るのにも時間がかかるだろうね」 
 喧騒を横目に港を抜けると、その占い師がいるという通りに出た。
 異国から来た露天商や屋台が立ち並ぶ無国籍な通りで、加工食品やアクセサリー、手作りの小物などなど――簡素に作られた出店が海岸まで続いている。
 通りを奥へと歩いて行くと、その中でかなりの人だかりができている場所があった。人だかりの中から学生らしい少女たちが顔を上気させ、きゃあきゃあ言いながら走っていく。彼女たちを見送りながらファルシオンは呟いた。
「…すいぶんと流行ってるな」
「皆噂を聞いてきたのかしら」
 背伸びをして人だかりの中を覗く。
 人々が熱心に見守る中で一人の男が静かに座っていた。まるで砂漠の民が着る様なゆったりとした服を着込み、フードを深く被っている為表情は伺えない。いかにも占い師といういでたちの男性だ。
 彼は静かに手で次、という合図をした。
 最前列にいた女性が声を上げる。女性は緊張した面持ちで占い師の前に座った。
「あの、最近結婚指輪を失くしてしまって…どこに置いたのか検討もつかないのです。調べていただけますか?」
 占い師の男性は何も言わず彼女の言葉を聞いていた。そして顔を上げる。
 銀髪の、美しい顔立ちの若い男性だった。神秘的な雰囲気を持つ、いかにも――
(いかにも占い師ですって感じの男だな)
 再びそう思いファルシオンは苦笑する。
「えと、指輪はこんな模様の――」
 指輪の特徴を説明しようとする女性を手で制し男性は机に置かれた小さな紙にペンを走らせた。
 そしてそれを女性に渡す。女性は緊張しながら紙に書かれた文字を読み上げた。
「『寝室の窓際に置かれた青い小瓶の後ろ、壁の間に落ちている』…あっ」
 思い当たる節があったのか女性は口元に手を当てた。そしてすぐに立ち上がり、占い師に頭を下げる。
「探してみます。ありがとう!」
(…的確に当てにきた)
 もっとあやふやな事を言うものかと思っていたが、具体的な物や場所を示していた。
(透視…読心か?でも何も感じなかったな)
 次の依頼を聞く青年を注意深く見つめる。青年は目を閉じて静かに話を聞いているだけだった。その他の動作も何もしていない。
 だが男性が目を開いて再び小さな紙にペンを走らせた時、違和感をファルシオンは感じた。目に見えないある種の気の流れ――彼が扱う魔術に似たものを青年の周りから感じ取ったからだ。
 しかしその流れは完成された、ゆるぎないものだった。彼が扱う不安定なものとは全く違う。
(魔術…?)
 次、と示されてアリアが前に出た。
「こんちわ。アリアは身長がいくつまでのびるのかを聞きたい」
 青年はアリアを見て紙に数字を書いた。
 それを見てアリアがおー、と声を上げる。彼女は紙をこちらに見せ付けた。
「アリアは二年後までにもっと背のびるんだって」
「2センチ・・・」
 紙に書かれた数字を見てファルシオンが呻く。
 次はルージュの番だったが、彼女は少し躊躇っていた。そして苦笑を浮かべながらこちらの背中を押す。
「…やっぱり私はいいわ。ファルシオンくん、何か占ってもらいなよ」
「ええっ、僕が?」
 何も考えていなかったが彼はとりあえず青年の前に座った。
「えーと…じゃあ、明日発表のくじの結果とか?」
「ファルシオン、ゆめがなーい」
 背中からアリアが冷たい声をかけてくる。ファルシオンは振り返って口を尖らせた。
「これで当たったらすごい事じゃないか」
 青年が紙を差し出してくる。くじの番号が書かれてあった。
「へぇ。じゃあ券買って帰…」
 と、続け様に青年がペンを走らせ書かれた文を見てファルシオンは動きを止めた。
 『友は自らの戦場を見つけ旅立った。兄は今は見つけられない』。それだけ書いて青年はペンを置いた。
 ファルシオンは青年の顔見る。感情の無い青年の顔。
「…あんた、一体…」
「どうしたの?」
 アリアが肩を揺する。
 ファルシオンはもう一度紙に書かれた文を見下ろし、苦笑して席を立った。
「…どーもありがとう」
 三人は人だかりから離れて帰路に着く。
 前を歩きながらルージュが尋ねてきた。
「何が書かれてあったの?」
「いや、ちょっとね。捜し人の事まで答えられたから驚いてさ」
「…不思議な雰囲気の人だったね。本当に何かが見えてるのかしら、あの人?」
 その後宝くじ売り場に立ち寄って券を買ってから、三人はアースの店に戻った。
 すでにシャルトリューズとグレナデンは戻ってきていた。アースはまだ帰ってきていない。ノチェロは部屋に篭っているという。
 シャルトリューズは購入した皿を洗い棚に入れながら、夕食は何にしようかとルージュたちと相談していた。それを横目にファルシオンは借りたラジオをパラソルの下に置いてテラス席に腰掛けた。近くには朝から格好が変わっていないレンジが寝ている。
 ラジオから流れる音楽を聞きながらぼんやりと先ほどの占い師の書いた文を思い出していた。
 友は自らの戦場を見つけ旅立った。兄は今は見つけられない――戦場?今は見つけられない?
 ラジオから流れる音楽が終わり、夕方のニュースが読み上げられる。隣町の町長選の結果、移民の国に到着した出稼ぎ労働者たちの様子を伝える中継、明日の海の天気に、皇国の領地内で行なわれた軍事パレードに関する軍事評論家のコメント――。
 と、古いエンジン音が聞こえてきてファルシオンは顔を上げた。
 アースが両手にいっぱいの食料を持って帰って来た。厨房の中にいたグレナデンが駆け寄る。
「とーちゃ、おかえり!」
 荷物を下ろしてから軽々と少女を肩に乗せ、アースが言った。
「まったく、燃料代が上がっただのなんだので皆値上げしててよ。何軒も店をはしごしてくたくただ」
「牛肉は買えた?」
「スジ肉は売り切れだとよ。他のメニュー出すか」
 袋の中身を確認しながらシャルトリューズは食料を厨房の大型冷蔵庫に入れていく。
 グレナデンを肩に乗せたままアースがこちらに来た。
「とーちゃ、今日はママたちとお皿買ってきたんだよ」
「そうか、楽しかったか?…ほら、あっち行ってママの手伝いしてやりな」
 そう言ってグレナデンを下ろし彼は近くの席に座る。
 ファルシオンは車を指差しながら彼に聞いた。
「…最近、車のエンジン調子悪くない?」
「ん?…あー、確かにかかりが悪かったりするな。なんだ、おまえさん車詳しいのか?」
「車の整備を手伝ってた事があってさ、音がおかしい気がして。後でちょっと見てみようか?」
「頼むわ。どうも機械は苦手なんだ」
 腕と腰を大きく伸ばしながらアースが呟く。
「風が強くなってきたな…今夜から明日にかけて大しけだとよ。パラソル畳んでしまわないとな」
 その後夕食を終えてから車を見てエンジンを直し、ファルシオンはタオルで手を拭きながら部屋に戻った。
 窓の外は大荒れの天気だった。真っ暗な海原は昨日と打って変わって恐ろしい程の勢いで荒れ狂っている。
 雨戸を閉めてベッドに横になっている恋路に声をかける。
「明日の出航までに天気回復するといいけど」
「昼までには収まるって聞いたぜ」
 欠伸をしながら彼はそう応えた。まだ眠いのか、と苦笑した時部屋のドアがノックされる。
「ファルシオン君!」
 慌てたようにルージュがドアを開けて入ってきた。
「ファルシオン君、大変なの。アリアが…」
「どうしたんだ?」
 ルージュはこちらの腕を引っ張りながら言った。
「海に誰かがいるって言って、出て行っちゃって…」
「こんな時に?おいおい…」
 呆れながらファルシオンたちは部屋から駆け出してテラスに出た。
 まるで台風のような強風と雨に目を細めながら、海岸を見渡す――と、すぐ下の砂浜に小さな人影が見えた。アリアだ。
「どうしたの?」
 騒ぎに気づいたのか奥の部屋にいたシャルトリューズが顔を出した。ルージュが不安そうに彼女に説明する。
 ファルシオンはテラスから海岸へと続く階段を駆け下りながら叫んだ。
「ルージュたちはそこにいて!僕が行ってくる!」
 砂浜まで下り、離れたところに立っているアリアに声をかけるが風に掻き消されて聞こえていないようだった。湿った砂に足をとられながらファルシオンはアリアの元に駆け寄る。
 そして彼女の腕を掴んだ。
「アリア、何してるんだ!」
「ファルシオン」
 そこで初めて彼女はこちらに気づいた。その手を引きながら言う。
「嵐がきてる。ここは危ないから部屋に戻るよ」
 だがアリアは首を横に振って動かなかった。彼女は海を見る。
「ファルシオン、海の中にだれかいる」
「なんだって?」
「だれかがおぼれてる。アリアには聞こえる、その人の鼓動が!」
 アリアは真っ黒な海を指差した。ファルシオンも視線を向けるが視界が悪く人の姿は確認できない。
「おぼれてるって…どの方向に?」
「あっち。近くにいる」
 ファルシオンは虚空に向かって文字を描いた。小さな灯火を作り出すとそれを海の方へと向かわせてじっと海面を見つめる。荒れた海は轟音と共に大きな波をうねらせていた――が、一瞬、波の間に腕のようなものが浮き上がった。
 アリアが叫ぶ。
「いた。あそこにいる」
「マジかよ…」
 呟きながらファルシオンは薄着になって海に飛び込んだ。強い波に体の自由を奪われそうになりつつも、何とか前方へと泳いで浮き上がっている人影の元に辿り着く。
 確かに人が溺れていた。長い髪が顔にへばりついていて表情はうかがえないが、女性だった。もがいている腕を掴むと一瞬その体が強張る。だがすぐに力を無くして体が沈んでいった。
 慌てて女性の体を掴み上げて腕を肩に回させる。そして横向きに泳ぎながら女性を浜へと運んだ。
 砂浜にはアリアと恋路がいた。恋路がこちらの様子を見て走り寄ってくる。
「おい、大丈夫か!」
 ぐったりとしている女性を彼に託してファルシオンは海から這い出る。大量の水を飲んでしまったので咳き込みながらひとまず波の届かない場所まで移動した。
 女性は弱ってはいたものの、意識はあるようだった。彼女もうつ伏せ状態で咳き込んで水を吐いている。
 彼女の背中をさすっていると、急にその手を掴まれた。女性が顔を上げる。
「――、――!」
 聞いた事のないような言葉だった。妙なほど強い力で掴まれている腕はそのままにファルシオンは怪訝な顔で彼女を見つめる。
 顔に張り付いた長い髪の間から爛々と光る目を覗かせて彼女はまた何かを言ったが聞き取れない。ファルシオンは首を横に振った。
「何て言ってるのか、わからないんだ」
 彼の言葉を聞いて女性は一瞬顔を呆けさせた。そして糸が切れた人形のように突然倒れ込む。
「ちょっと!大丈夫?」
 女性の頬を軽く叩いていたところで肩を掴まれる。振り返ると恋路が上を指差していた。
「おい、とにかく部屋に戻るぞ!」
「わかった。運ぶの手伝ってくれ」
 宙に漂っていた灯火を呼び寄せたファルシオンははっと息をのむ。
 灯火に照らされて緑色に輝く髪からは長い耳が見えた。
 緑色の髪に長い耳を持つ種族――半年前に発見された森人の姿を彼女はしていた。