見栄をきったりわめいたり、

太陽が沈んでも未だに空は明るい。
 藍、青、紫、赤色のグラデーションを望みながらファルシオンは屋根の上で屋根の修理をしていた。
 下の方からはアリアとシャルトリューズの娘――グレナデンの遊ぶ声が聞こえてくる。二人で影踏みをしているようだ。
 その声を聞きながらファルシオンは下に居る恋路に声を掛けた。
「おーい、二枚板くれよ」
 恋路はテラスの床を同じように直していた。潮風で木の床は痛みやすいのだという。
 店の中ではルージュとシャルトリューズが食器棚の整頓をしていた。先程まで何枚か皿の割れる音と悲鳴が聞こえてきていたが、今は落ち着いてゆっくりと皿を並べている。
 恋路が板を二枚担ぎながら脚立を登ってきた。
「下は終ったぜ」
「こっちももう少しだ。…そういえばアースの大将はどこに行ったんだろう?」
 いつからかアースの姿が無かった。辺りを見渡していたが、その間に手元が狂い金槌を指に落としてファルシオンは顔をしかめる。
「もう一人子供がいるんだとよ。迎えに行った」
「へぇ…」
 最後の一枚を釘で打ち付け終えると二人は屋根から下りた。厨房を覗くと、こちらも片付けが終わっていたようで二人がアイスティーを飲んでいる。
「遅いわねぇ…先に食べちゃおうか」
 シャルトリューズが布巾で手を拭きながら呟く。
「学校に行ってるんだけど、いっつもあの人が迎えに行くと遅くなるのよ…まぁいいわ。じゃあ、ご苦労様でした。晩御飯食べましょう」
「ママーおなかすいたー」
「おなかすいたー」
 丁度アリアとグレナデンも戻ってくる。娘の頭を撫でながらシャルトリューズはテラスにある一番大きなテーブルを指差した。
「じゃあ皆さんは座ってて頂戴。グレナデン、運ぶの手伝って」
「私も手伝います」
 ルージュも厨房の中に入っていく。
 真っ先に席に座って料理を待つアリアに恋路が半眼で呟いた。
「おめーは何もしてねーだろうが」
「アリアはグレナデンと遊んだ。レンジはうるさい」
「ケンカするなよ…ん?帰って来たんじゃないか?}
 ファルシオンの長い耳が動く。3人は店の入り口を見た。店の横に古いトラックが止まり中から少年が降りてくる。
 浅黒い肌の小柄な少年だった。十一、二歳ぐらいだろうか。鞄を持って店の入り口まで来ると、立ち止まり強張った表情でファルシオンたちを見た。
 ファルシオンが手を上げて声を掛ける。
「あ、お邪魔してまーす」
 だが少年は何も言わず下を向いて店の中を突っ切り、奥へと行ってしまった。
「こらっノチェロ!挨拶もできないの?」
 シャルトリューズの叱咤が追うように続くが少年は姿も見せなかった。それを見ていたアリアが頬を膨らます。
「あいそのないやつ」
「おまえが言うか。そう変わらんぞ」
「レンジうざいしねー」
 取っ組み合いを始めそうなアリアの頭に大きな手がぽんと乗せられる。いつの間にかアースが彼女の後ろに立っていた。申し訳無さそうに彼が言う。
「悪いなぁ、どうにも人見知りが激しくて・・・最近は俺の言う事も全然聞かないんだ」
「反抗期ってやつじゃないの?気にしないよ」
 見たことも無い(特に自分のような人物が)人間が家にいれば誰だって驚くだろう、申し訳ない気がしながらファルシオンもテーブルの席につく。
 その後、食事の席にも少年は姿を現さなかった。


* * * *


 満月に近い月が海の上に現れると、真っ黒にうねる海にも所々に光の孤島ができていた。
 海の音を聞くとどうにも眠れない――ファルシオンは砂浜を一人歩く。
 生まれ育った島を囲む海は冷たくて厳しい、ここの海とは全く違うものだった。夜の眠れないときに聞こえる、崖に打ち付けられる波の轟きが陰鬱なものに聞こえてよく脅えていた。
 それもあったから早くあの家を出たいと思ったのかな――そんな事はないだろうけど、と思いながら一人で苦笑する。
 砂浜には街灯は無かったが、月の光を反射した白い砂が光っている為に足元をすくわれる事はない。ファルシオンはいつものブーツを脱ぐと、裸足で砂浜を歩いた。
 そして淡く光る砂浜の上で佇む人影の横に立つ。
「こんなところでぼーっとしてると…波に攫われるよ」
「ファルシオンくん。起きてたの?」
「眠れないんだ。で、外を眺めてたら君の姿が見えたから…」
 ぼんやりとした眼差しでルージュが見上げてくる。彼女の隣に腰を下ろし、ファルシオンは足の裏についた砂を払った。それを見てルージュが笑う。
「裸足で歩くと気持ちいいね。私もサンダル脱いでここまで来たの」
「昔、裸足で貝を踏んで怪我した事あるから気をつけなよ。ほんと痛いから」
 昔、という単語を聞いてルージュは考え込むように下を向いてしまう。そして言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「…私…ここに来た覚えがあるような気がするの」
「本当に?へぇ、いつ来たんだろうな」
 軽い調子でファルシオンが応える。しかしルージュは膝を抱えていた腕を更に強く締めて、小さくなってしまった。
「わからない…ただ、この海を見た事がある気がして…」
「ここら辺は有名な観光地だからな。もしかして、家族旅行で来たのかもしれない…どう?」
「……。」
 なるべく普通の事柄であるように彼女に問いかける。しかし、俯くばかりのルージュの顔を見てとうとう彼は言った。
「…どうしてそんなに、思い出す事に怯えているんだ?」
 その言葉通り、怯えるようにルージュが震える。その様子を見ていたファルシオンは少々強い口調で続けた。
「君だって、たぶん…二十年位をこの世界で生きてきたんだ、行った場所も見かけた景色もたくさんあるかもしれないだろう?何をそんなに怖がるんだ?
 自分の過去を知りたくて今ここにいるっていうのに、それじゃまるで――」
 ルージュは何も言わない。その表情も腕に隠れて見えない。しかし、彼女の細くて華奢な肩が震えているのはわかっていた。
 ファルシオンは言葉を途切り唇を噛んだ。それ以上言うと彼女が泣いてしまうと思った。羽織っていた綿のシャツを脱ぎ、彼女の肩にかける。
 しばらくルージュは動かなかったが、涼しい風が吹くと肩にかけられた服を静かに掴んだ。
「…ごめん、君が一番辛いのにそれを責めるなんて。僕が馬鹿だった」
 落ち込む彼の手に力なく手が重なる。ルージュが顔を上げて寂しそうに笑っていた。
「いいの。私、臆病だから…だから、怖くて怖くてしょうがないけど…でも、やっぱり知りたいの、私の事」
 ファルシオンは彼女の冷たい手を強く握る。それを弱く握り返して、ルージュは呟いた。
「私が私の事を知った時に…その時は横にいてね、ファルシオンくん」



「おっなんだなんだ、いい感じになってきたぞおい」
 うひゃーと楽しそうにアースが声を上げる。
「いいねー服なんてかけてあげちゃってさー。おっ、今度は手を握ってるぞ。なんだあいつら、付き合ってんのか??」
「知らねーよ…まぁ、ファルシオンの方が思い入れ強いみたいだが」
 店のテラスでくつろぎながら恋路は横で興奮している同胞にため息をついた。
「おまえ、なんでそんな嬉しそうなんだよ…」
 それを聞いてアースはさも当たり前のようにしみじみと呟く。
「なんだおまえ、そりゃ愛だよ愛。見ててこう、なんかすっぱい感じになってくるだろー?」
「甘酸っぱいなら聞いた事はあるけどな」
「あぁ、そうだっけか?まぁいいや、見てるとおもしろいぜー愛ってやつは」
「……。」
 愛ねぇ、と恋路は腕を組む。その視線の先には下の砂浜で並んで座っている二人の姿がある。
「しかしまぁ…あの女だ。どうしてラグナロクが解かれたと思う?」
 赤毛の女を見つめながら恋路は問いかけた。
「今まであんな事にはならなかったっていうのに…どうして今回はまた?」
「封印をしたのはフェンリスか…」
 アースも腕を組み考え込む。
「あいつが施した封印ってもんだから、また変な誓約でもつけちまったんじゃねぇのー?例えば…」
「例えば?」
「…贄は処女じゃないといけないとか。千年ごとに解けるとか」
「んなあほな」
「いや、ありえるぞ。なんせあいつだからな」
「あー、あいつだからか」
 お互い納得したところで、店から海に続く階段を上ってくる足音が聞こえてきた。アースがにやっと笑う。
「噂の奴だ。聞いてみろよ」
「お前が聞けよ」
「何を聞くって?」
 階段を上ってきたファルシオンが涼しい顔で立ち止まる。アースが笑いをこらえた声音で言った。
「下世話な話だよ。おまえさんとあのねーちゃんができてるのかってな」
「下世話だなぁ」
 苦笑しながらファルシオンはテラスまで歩き空いている椅子に腰掛けた。
「ルージュは?」
「もう部屋に戻ったよ…ふぅん、二人してここで見てたわけだ」
 恋路の問いに答え、ファルシオンは誰もいない砂浜を見つめる。
 どことなく寂しげな彼にアースは傍らに置いてあった瓶ビールを渡した。
「飲めよ。ツケでいいぜ」
「ありがとう。出世払いで頼むよ」
 瓶のまま口に運び、半分位まで一気に飲む。
 その間にアースと恋路は机の上に広げてある酒のつまみ(おそらく店で出しているものの残り)を突っついていた。
 しばらく波の音と、何かを呟きあって笑う二人の声しか聞こえなかった。ファルシオンはビールを飲み干す。
「――そういえば、レンジに聞いたんだけど」
 空いたビールの瓶を片手で回しながらアースに尋ねた。
「あんたも…なんていうか、人じゃない存在なんだって?」
「ん、そうだよ。もうかれこれこっちに来てから五千年は生きてる」
「五千年って…」
 軽い口調で返され思わず絶句する。人間の有史が約五千年前と言われているので、本当だとしたら彼は人間の文化が始まった頃から生きているという事になる。
 果てしない年月を想像してみるがまったく理解できない。ファルシオンは首をひねる。
「そんなに生きてて、どういう気持ちになるんだ?想像がつかないよ」
「だからこいつは変わり者なんだよ。“人”の姿で五千年を生き続けるなんて」
 恋路は頬杖をつきながらあごでアースを示す。
「しかも、歳までとるっていうんだろ?もう変わり者じゃなくて変態だろ」
「うるせーな、人の趣味にケチつけるなよ」
 恋路の座る椅子を軽く蹴ってアースは抗議した。彼に聞き返す。
「歳をとるって?」
 アースはめんどくさそうにこめかみを掻くと、右手を上げて階段を上るような仕草をした。
「あー、なんていうのかな…人間と同じように、歳をとってくんだ俺。別にそんな事しなくても生きていけるんだけど、なんか、その方がリアルでいいだろ?」
 突っ込みたい所は多々あるが、とりあえず一番の疑問を聞いてみる。
「寿命が来たらどうするんだ?」
「そん時には泥と土からまた新しい体を作って、そこに自分の魂を入れるんだ。生まれ変わりみたいなものかな」
「はぁ…」
「ほら、変態だろ」
 恋路が先程と同じ口調で呟く。確かにその感覚は理解できない。
「どうしてそんな事を?」
 その問いにはアースは即答はしなかった。口をつぐみ、腕を組んで考えている。恋路もその答に興味を持ったようで、頬杖をついたまま視線だけアースの方を向いていた。
 その口から出たのは意外な言葉だった。
「…『人生はただ歩きまわる影法師、あわれな役者』」
「…えーと、『見栄をきったりわめいたり、そして後には何も無し』…だっけ?」
 古い記憶を探り出してファルシオンが続ける。恋路の視線がこちらに移った。適当な説明をする。
「だいぶ昔の戯曲の台詞だよ…気の利いた台詞を残すものだな」
「昔にその戯曲をリアルで見たんだけどな。その時思ったんだ」
 アースは腕を組んだまましみじみと呟く。
「どうにもならない絶望の地平に自分たちは立っている、それを知っていても人間は何かを生み出す事を止めない――これは他の種族にはない事だ。寿命も短く力も持たず、儚い命だとしても彼らは今も生きている。
 …人と一緒に生きていくのが面白いんだ。何度となく人生を繰り返しても見ていて飽きないものだからな」
 恋路は何も言わなかった。もしかして同じような事を思っていたのかもしれない。
 絶望の地平――何気なく出たアースの言葉が何故かファルシオンの頭から離れなかった。彼は空瓶を机の上に置き、満天の星空を見上げた。



 夜明けも近いような時間になってようやく彼は自分の部屋に戻った。が、ベッドに先客が居て思わず声を上げる。
「なんでお前ここで寝てるんだよ」
 シャルトリューズは寝ぼけた声のままで返事を返した。
「…私のベッド女の子たちで使ってるし…ノチェが部屋に入れてくれるわけないでしょ」
「そりゃそーだけど」
 諦めてアースは彼女の下敷きになっていた自分の枕を引っ張った。
「もうちょっとむこう行ってくれよ。落ちちまう」
「…何話してたの?」
 先ほどよりはっきりとした声でシャルトリューズが尋ねてくる。
 ベッドに寝そべりながらアースは応えた。
「色々とな。久しぶりに会ったもんだから、話が尽きない」
「…お友達なのよね?」
「友達っていうか、同郷っていうか、同僚…まぁそんなところだ」 
 シャルトリューズは背中をこちらに向けたまま、小さく嘆息するのが聞こえた。
「…一緒に暮らしていても、私たちはあなたの事何も知らないわね。あなたが今まで何をしてきたのか、私は知らない」
「……。」
 アースは天井を見つめていた。
 しばらくの沈黙の後、シャルトリューズが呟く。
「たまに思うのよ。あなたに甘えたままでいいのかしらって…でもあなたは優しいから、きっとどこへも行かないのでしょう?…だから、あなたをこんな場所で繋ぎとめてていいのかって、考えるのよ」
 視線を彼女の背中に移してアースは苦笑した。
「…俺は邪魔かい?」
「とんでもない。私はずっとここにいて欲しい。グレナデンだって…ノチェだって、そう思ってるわ」
 即座に答えて、シャルトリューズはこちらを向く。
「…私は軽薄かしら」
「…それは俺が応える事じゃない」
 アースは目を閉じた。
「夢の中でもいいから聞いてみろよ、あいつにさ」