アース

「まぁ、当面はどこかの宿に泊まるしかないな」
 肩にかけた鞄を持ち直しファルシオンが言った。
「とはいえ僕らみたいに足止めを食らってる人も多いはずだから、宿を探すだけでも時間がかかるだろうね」
「私、いざとなったら野宿でもいいわ」
 ルージュが日傘を傾けながら呟く。
 本当はそっちの方がいいんだけどな…と、こっそりとファルシオンはため息をつく。
 追われる前に銀行から引き落とした金がもうそろそろ底を尽きそうだった。面倒な事になるため銀行には行きづらい。いざとなったら知り合いに頼んで送金する事もできるだろうが、それもあまり気が進まない。
 頭の中で残金を計算しながら気づかれないように再びこっそりため息をつく。
 さりげなく視線を向けると、ため息もその意味に気づいていたのかレンジはさっと顔を背けた。
 一人で山で暮らしていた彼はあまり金を使った生活はしていなかったという。物々交換で事が済んでたというのだから驚きだった。
 さらに彼は一切の所有物を静子とその家族に受け渡し、彼女が申し出た幾分かの持ち合わせも受け取る事を拒否したらしい。その心意気は素晴らしいとは思うが、実際問題、金がないと旅も出来ない。
 ファルシオンは気を取り直した。
(まぁ、港町なんだし荷積みのバイトでもなんでもすればいいか)
 先程の海上交通局の建物内にも求人の紙が壁一面に貼ってあったので、日雇いの働き口は幾らでもあるだろう。あまり深刻には考えずファルシオンは街を歩く。
 すでに時間は正午を過ぎていた。通沿いの屋台やレストランからは食欲をそそる匂いが漂っている。白い建物に青い海、山盛りの海鮮料理――客たちは昼過ぎだというのに皆酒を飲んでいるのか顔が赤い。
 と、いつもは質問攻めをしてくる少女が静かな事に気づいた。後ろを歩くルージュの横にいる彼女と歩調を合わせる。
 アリアは紙切れを広げて一心にそれを見ていた。その紙を覗き込む。
「何を見てるんだ?」
「地図。アリアが買った」
 彼女が見てるのは世界地図だった。ただ土産用に刷られたらしく、綺麗な装飾などのデザインは見るものがあったが正確さには欠けている、そんな代物だった。
「今アリアたちはどこにいるの?」
「ここだよ。下の方の、出っ張っている所…ああ、これだ」
 地図の南西部分に描かれた部分を指差す。街のすぐ横には船の絵が描かれてある。そして北に指を滑らせると、
「ここがレンジがいた街。この川沿いがルージュ。アリアの故郷は…ここら辺かな?」
 旅の仲間たちと出会った場所を次々と示す。
 こうやって見ると、約半年で大陸を南下しきった事になる。
 もう世界の端か――ファルシオンは感慨深く、その地図を見ていた。
(だいぶ来たんだな)
 この街は来たことがあったが、他の街はほぼ初めての場所が多かった。その中で、たった半年の間だというのに数々の事柄に巻き込まれている。
 そして半年も経っているというのに、見つからない人物たちがいる。
 アリアに手を引かれているのに気づいたのは、少し経ってからだった。
「――ん?どうした」
「ファルシオンのこきょうはどこ?」
 聞かれてファルシオンは苦笑する。
「その地図に載ってるかな。小さな島なんだ」
「島?島育ちなの、ファルシオン君」
 会話を聞いていたのか、ルージュが目を丸くして聞いてくる。ファルシオンは応えながら自分の住んでいた島を地図上から探した。
「在住証明は今は移民の国で登録されているけど、籍はライ麦畑の島々だよ。…ああ、あるな。この点々のうちの一つだ」
 何気なくルージュが問いかける。
「誰か家族がそこにいるの?」
 その問いに一瞬口を噤んでしまう。なんて答えようか――ファルシオンは口を開けて言葉を探す。だが探し当てた言葉は単純なものしか思い浮かばなかった。
「…いたよ。兄貴がね」
 ルージュが何か言いかける前に、前を歩いていたレンジが振り返って言った。
「おい、なんでもいいからとりあえず飯食おうぜ」
「そうだな。さて、どこがいいか…」
 立ち止まりファルシオンは辺りを見渡す。
 昼過ぎという事で客が並ぶほど溢れている店は特に見当たらなかったが、それでも席が空いてる店はそうなかった。
「うーん…こうも店が並んでると、選び辛いな」
「ねぇねぇ」
「ん?」
 また手を引かれ振り返る。だがアリアは少し離れた場所で店の看板をルージュと見上げているところだった。周りを見渡すが彼の傍には誰も居ない。
 怪訝に思いながら前に居るレンジの方を向く。
「何か言ったか?」
 だがレンジは首を横に振り苦笑した。何かを見下ろしている。
「俺じゃねぇ。そこ」
「え?」
 レンジがあごで示した先には少女が立っていた。見当たらないはずで、彼の足の付け根辺りまでしか背丈がない。
四、五歳ほどだろうか。おかっぱ頭の少女が彼の手を引いていた。
「ねぇねぇ。ごはんたべるの?」
「え?え、あ、まぁ…食べたいんだけど…」
 意味がわからなかったが、とりあえずファルシオンは答える。少女は手に持っていた木の棒を行く手の方に向けた。
「あそこ。ごはんたべれるよ」
 彼女が示した先には小さな食堂があった。
 海に面した場所に建てられた小奇麗な建物で、白い壁に青い梁が美しい。掲げてある看板には「シャルトリュズ」と書かれている。ファルシオンが呟く。
「食堂…だな」
 店の前にはメニューが書かれた黒板が置いてあり、どれも手頃で美味しそうなものばかりだった。少女が胸を張って言う。
「ママがつくってるんだよ。とーちゃもてつだってるけど」
「このちびっ子が看板娘ってわけか」
 レンジがへっと口元を吊り上げて笑う。ようやくこの少女が客の呼び込みをしている事に気づきファルシオンは苦笑した。
「そうか。ママが作るのは美味しい?」
「うんー!」
 ここまで言われれば断るのも難しいと判断し、少女に連れられファルシオンたちはその店へと入っていった。
 中は昔ながらの小さな食堂といった感じの内装だった。緑色を基調とした壁やテーブルウェアに、淡い黄色の灯りが吊らされている。所々に内装と良く合う鮮やかな色のアイビーが置いてあり、壁を這うように伸びていた。古いが手入れはよくされていて清潔な店である。店の主のセンスがいいなとファルシオンは素直に思った。
「ママー!おきゃくさんー!!」
 少女が厨房に向かって叫ぶ。すると中から茶色い髪の女性が顔を覗かせた。
 彼女は身に着けているエプロンで手を拭きながらこちらに近づいてくる。その顔にはとても感じのいい笑みが浮かべられていた。
「いらっしゃい。この子に捕まっちゃったみたいね」
 二十代後半か三十代前半くらいだろうか、眠そうにも見える眼差しが色っぽい女性だった。料理人が着る白い服に黄緑色のエプロンをしていて、そのエプロンに少女が抱きつく。少女の頭を撫でながら女性が苦笑した。
「ごめんなさいね、この子いっつもそこの通りを行く人たちに声をかけちゃうの――あ、でも大丈夫よ、味は保証するわ。この店でよろしいかしら?」
 ファルシオンたちは顔を見合わせて笑った。
「ええ。こんな可愛い呼び子がいるなら食べるしかないですね」
「そう、嬉しいわ。――アマレットちゃん、メニューをお出しして!」
 女性は厨房の前で料理を待っていたウェイトレスの少女に声をかけ、厨房に戻っていく。
 ファルシオンたちは海の見えるテラスに置かれた席に座った。ウェイトレスの少女が人数分の水を置きに来る。
 各々注文を済ませたところで海から風が吹き、白いパラソルのふちがヒラヒラと揺れる。
「いい所ね。気持ちいい」
「前来た時はこんな店があるの気づかなかったな」
 ルージュの言葉にファルシオンは頷きながら呟く。と、彼女が聞き返してきた。
「この街に来たことあるの?」
「二年前だったかな、冬にここの港街に来たんだ。暖かいところに行こうって話になって、この街は冷え込まないらしいって聞いたから。まぁ寒くは無かったけど雨が降ってて結局海には出れず仕舞いだったな」
 おまけに自分がこの街に来てから風邪をひいて、宿から出れずにベッドの上で呻きながら過ごし観光も出来なかったというのがその旅行の顛末だったが、それでも今では楽しい思い出として残っている。確か財布の中にこの街で買ったお守りがまだ入っていた。
「写真にうつってた人たちときたの?」
 今まで地図に没頭して黙っていたアリアがそこで口を開く。唐突な事だったのですぐにその写真が思い浮かばずに聞き返した。
「写真?どの写真だ?」
「まえにアリアがみた写真。三人でうつってるやつ」
「…ああ、たぶんそうだな。というよりもいつもその三人で一緒に行動してたよ」
「ふうん」
 それだけ聞くとアリアはまた膝の上に広げた地図に視線を落とした。よっぽど気に入ったらしい。ファルシオンはそれを見て苦笑する。
「そんなに地図が好き?今度、もっと精密なやつを買ってあげるよ」
「ねぇねぇ。海のむこうにはなにがあるの?」
 話を聞いていなかったようで、アリアからは疑問が返ってきた。
 思いもしなかった疑問にファルシオンは腕を組み応える。
「海の向こう?さぁ、何も無いんじゃないか?」
「こうやって見ると…何か霧がかかってるみたいね。あの向こうはどうなってるんだろう」
 遥か彼方の水平線を見つめながらルージュも呟く。
 水平線の向こうは真っ白で何も映っていない。その最果てまで行っても、何も無いという。アリアの持つ地図を見つめる。
 地図には東西に二つの大きな大陸があり、その西側が今彼らがいる大陸だった。二つの大陸は海を隔てて存在していて、そのちょうど中間に小さな大陸がある。この大陸が世界でも有数の人口を誇る移民の国。
 そして再び海をまたぐと皇国の支配下に置かれた東の大陸がある。
 その他に、自分の育った麦畑の島々などの小さな島がいくつも存在し世界は成り立っている。世界中で見られる全ての地図ではそれが世界だ。その向こうなんて、存在しているわけがない。
 だがそこまで考えて、ふとファルシオンは思った。
(…何で彼女たちは“むこう”なんてものがあると思えたんだろう?)
 むこう。世界のむこう側。何故自分は今までその事を考えもせず、気づきもしなかったのだろう。
 そういえば、最近発見されたという新人種――森人や亜人種族は船で海の向こうからやって来たのだという。そしてそのまま何をするでもなくまたどこかへ去っていった。
 それは何を意味する?
 海の向こう?
 ファルシオンはもう一度地図を見る。
(…あれっ?なんか、世界って…)
 今までそんなことは感じた事も無かったというのに――何故か地図に載っている世界がとても狭く感じられた。何か違和感を感じる。
「レンジは何があるかしってる?」
 黙り込むファルシオンをよそに、アリアはレンジにも聞いていた。レンジはそっけなく答える。
「さぁな。知らねぇよ」
 だがレンジのその視線が一瞬、ほんの一瞬だけ自分に注がれた事をファルシオンは見逃さなかった。
「何か知って――」
 ファルシオンの言葉は途中で途切れる。
 彼らのテーブルに黒い大きな影が差し込まれたからだった。
「はいよ、お待たせしました」
 その背の高さに思わず四人は見上げてしまう。両腕いっぱいに料理を持ってきたのは男性だった。
 考え込んでいて気づかなかったが、いつの間にか店内はさっきよりも混みだしてウェイトレスの少女やあのシェフの女性は慌しく店内を回っていた。自分たちを連れてきた少女ですら使い終わった皿を片付けて、テーブルを拭いている。
 そして今料理を持ってきた男性は厨房内からわざわざ持って来てくれたのだろう。たくましい体格の男性で見た目は少し厳ついが、人懐こい顔でこちらに笑いかけてくる。
「冷めないうちにどーぞ。えーと、イカ墨ペペロンチーノがこちらの少年、海老と帆立のクリームパスタが…こっちのお嬢ちゃん、ツナオニオンピザは?ん、こっちの姉さんか。で、雲丹のリゾットが、と」
 レンジの前に料理を置いた時、その男性が固まる。レンジの顔を見ているようだ。レンジも目の前の彼を見つめて固まっていた。
 沈黙が彼らのテーブルに訪れる。他の三人は顔を見合せて何事かと首を傾げた。
「あのー…?」
 固まっていたレンジが呆れ顔になり、半眼で彼は呟いた。
「お前…何してんだよ、こんなとこで」
「やっぱりか!なんだお前、久しぶりだなー!!」
 男性がレンジの背中をばしばし叩き、嬉しそうに声を上げた。
「何か懐かしい感じだなーと思ったら、そうかー、お前もこっちに来てたのかー。何百年ぶりだ?顔を合わせるのなんて?」
(んんっ?)
 間違えそうも無い単位に聞き間違いかとファルシオンは長い耳を立てるが、男性は全く気にせずに上機嫌で今度はレンジの頭をばしばし叩いた。
 その手を弾いてレンジが面倒そうにこちらを見た。
「面倒い奴に捕まった…」
「知り合い?」
「…まぁ古い付き合いだ。えーと…おい、今はなんて名乗ってんだ?」
 名前を知らない古い付き合いって…とファルシオンがいぶかしむのを他所に男性が大きな手を差し出してくる。
「アースだ。よろしくな」
 男性――アースはファルシオン、ルージュ、アリアの順に手を差し出した。
 その間にレンジが喋る。
「そのちっこいのがアリア。赤いのがルージュ。それでその紫のが――ファルシオンだ」
 アースが片方の眉をぴくりと上げる。
「へぇ?ファルシオン、ね」
 と、厨房からアースの名を呼ぶ声が聞こえた。その声を聞きアースが舌打ちする。
「おっと、参ったな今は手が離せないんだった。おい、飯ゆっくり食べていってくれよ。落ち着いたらちょっと話がしたいんだ」
 そう言ってアースは厨房へと戻っていった。
 彼が再びテーブルに来たのは、それから一時間近く経ってからだった。
「だいぶ待たせたな。今日は午前中が忙しくて片付けが中々終らなかったんだ」
 エプロンを外しながらアースは手近にあった椅子を引いて腰掛けた。
 何気なく彼を見る。
 日焼けした浅黒い肌に鮮やかな緑色の眼を持つ、背が高い事以外はこれといって特徴があるわけでもない男性である。しかし何処か安心感というのか、心地よい雰囲気を持っていてそこにファルシオンは好感を持った。目が合い彼がにっと笑う。
 彼はニット製の緑色のロゴが入った帽子を目上まで被っていた。その帽子を引っ張りながら彼は店を見渡している。
 先程まで何人か飲んでいた客たちもそぞろ足で出て行き、今店の中には彼らしかいない。
「店はいいんですか?」
「昼は三時で終わるんだ。また夜から営業するけどな」
 ファルシオンの問いに彼はそう答えると、奥で机を吹いていたウェイトレスの少女に手を振った。
「アマレットちゃん、悪ぃが何か飲み物持ってきてくれ。で、適当にもう帰っちゃっていいから」
「はーい」
 少女がトレイを持って厨房に消えていく。
 すぐに彼女は六人分のアイスティーを持ってきた。彼女に礼を言い、ストローで飲みながらファルシオンは言う。
「繁盛してましたね。忙しそうだった」
「ようやく軌道に乗った頃だよ。なんとか食ってはいけるから、まぁ上々じゃねぇの」
 それを聞きながら恋路が呆れ顔で聞く。
「お前、いつからここにいるんだよ」
「五年前位か?まぁ色々あってな…」
「前は鍛冶屋してたって聞いてたぞ」
「してたぜ。その後傭兵だろー、船大工だろー、パン職人だろー」
 指を折りながら今までの職業を呟く彼にルージュは目を丸くした。
「そんなに色々な職業についてたんですか?まだお若いのに…」
「ははは。まぁ、人生は長いからな。色んな経験を積むのが好きなんだ」
(…なるほど。さっき言ってた何百年ってのは伊達じゃないってか)
 恋路の同胞と言う事は、そういう事もありえるかもしれない。とんでもない事をさらっと言う彼にファルシオンは苦笑した。
「で?今は港町の料理人か」
「まぁそんなとこか。でもどっちかというと料理専門は・・・」
「この人はお菓子専門なのよ。まぁ最近料理も出来るようになってきたけど」
 アースの後ろにトレイの上にタルトを乗せた女性が立っていた。この店に入ったときに応対をしてくれた女性だ。
彼女の言葉にアースは肩をすくめて呟く。
「ま、料理専門はこの店の店主であり隊長であり船長であり親方であるこいつなんだ」
「なによそれ。…あなたたち、この人のお友達だったのね。偶然ってあるものねー」
 シャルトリューズ、彼女はそう名乗った。そしてブラックチェリーのタルトを切り分けながら笑う。
「これ、さっき間違えて作っちゃったのだから遠慮せずに皆さんで食べて。ねぇ、アース?」
 アースは苦笑いを浮かべて切り分けたタルトを皿にのせていった。シャルトリューズはトレイを隣の席に置き、また厨房へと戻っていく。
「…で、あんたらは何をしにここへ?観光か?」
「船に乗って移民の国まで行こうと思ってたんだけど…」
 タルトにフォークを差し入れてファルシオンが答える。
「どうにもこうにも、すぐに乗れる船が無くて二日後までここで滞在しなきゃいけなくなって」
「それで、今は泊まる宿を探している所だ」
 種を吐き出しながら恋路が続けた。それを聞いてアースは残念そうな顔つきになる。
「今は観光以外にも出稼ぎ労働者がこの街に来てるからなぁ。最近近くの鉱山が閉鎖されて余計出稼ぎに行く奴らが増えたってのもあるし、ちょっと時期が悪かったな。今が一番ピークなんじゃねぇの?」
「そうかー…」
 ファルシオンの長い耳が垂れ下がる。
 それを見てアースが店の奥を指差した。
「…俺んち、泊まってくか?」
「えっ?」
 思いがけない言葉に聞き返す。アースは店の奥を指差しながら、
「ここ店兼家になってんだ。まぁ狭いし汚ねぇけど、四人ぐらい泊まるのなんてどうってことないぜ」
 と軽い口調で言う。
 目を真ん丸にしてファルシオンとルージュは顔を見合わせた。申し訳なさそうにルージュが口を開く。
「でも、そんな急に…悪いです。お店もあるし、邪魔に…」
「いーって。今日の夜は休みだ休み。おーい、シェリー!」
 はぁい、と厨房から顔だけを出してシャルトリューズが返事をする。アースはファルシオンたちを示しながら言った。
「今日、こいつら泊まってくってよ。布団あったよな?」
「この前干したのならね。女の子は私の部屋で寝ればいいんじゃない?」
 シャルトリューズは笑いながら店の中を横切ると、入り口に立て掛けてあった看板を裏返して「本日休業」にした。
「よし、んじゃ部屋に行くぞ。荷物持ってきな」
 そう言ってアースは立ち上がり奥へと行ってしまう。
 それまでよほど美味しかったのか、夢中でタルトを食べていたアリアが顔を上げて事についていけない表情でファルシオンに聞いた。
「とまるとこ、見つかったの?」
「まぁ、見つかったというか…」
 ファルシオンたちも呆気に取られていると、恋路が頬杖をつきながら呆れ顔で呟く。
「いいんじゃねーの。ああいう奴なんだよ、昔っから」
 案内された部屋は元々何も使われていなかったようで、少し埃臭かった。
「野郎どもはここを使ってくれ。…うわ、埃がひどいな」
 手をひらひらさせながらアースは窓を開ける。窓の外からは海が見えた。
「そこにほうきあるから、まぁテキトーに掃除して使ってくれよ。ベッドは一つしかなくて悪いんだが…」
「じゃんけんで決めるからいいよ」
 鞄を机の上に置き、ファルシオンは窓からの景色を眺めた。穏やかな海に蒼い空、眼下には白い砂浜ととてもいい眺めだった。
「布団は後で持ってくる。後は、えーと、トイレはあっちの扉だ。…こんなとこか?」
「ありがとう。とても助かるよ」
 ピースサインをしてアースは部屋から出て行った。
 恋路が荷物をベッドの柵に掛けるのを見ながらファルシオンは苦笑する。
「ずいぶんとまぁ…俗っぽい仲間だな。店を持って結婚もしてて?たぶん奥さんだよな、あの人」
「あいつが例外なんだよ。昔っから、人間社会に溶け込んで生きるのが好きなんだと。他の奴らは大体、奉られるのを好んだり天上で見守ってたりするんだが」
 呆れ顔で恋路が応える。それを聞きファルシオンは何気なく聞いた。
「俺の兄貴はどうだった?」
「…あいつは――」
 恋路は言葉を詰まらせる。だが、すぐに肩を竦めて言った。
「…あいつは、人に干渉しすぎておかしくなっちまったよ。今は知らねぇけど」
 それ以上の事を彼は言わなかった。
 多少の掃除が終る頃に(恋路は何もしなかったが)、ファルシオンはアリアに呼ばれて部屋から出て行った。
 


 部屋に残された恋路はする事もなく窓辺に腰掛けていたが、しばらくして部屋の前をルージュが通るのが見えた。彼女は濡れた髪を撫で付けながら部屋に顔を出す。
「シャルトリューズさんがお風呂わかしてくれたの。ごめんね、先に入っちゃったわ。恋路くんも入ってきたら?」
「おう。…アリアは先に?」
「アリアは今ファルシオンくんと一緒に入ってるよ。もうすぐ出てくるんじゃない?」
「ふぅん……はぁ?」
と、思わず聞き流しそうになった事柄に声を上げる。
「一緒に?あいつらが??」
「えっ、結構一緒に入ってるよあの二人。アリアが入りたがって」
 知らなかったの、とルージュが当たり前といった顔で言う。
「あの位の年齢って、誰かとお風呂入りたがるものじゃないの?私ともよく入るし…」
「あんたとあいつじゃ違いすぎるだろうが。あの位のっつったって…」
 逆に恥ずかしがるんじゃないのかと恋路は愕然とする。
 不思議そうに歩いて行ってしまうルージュと入れ替わりに、タオルを首に巻いたファルシオンが部屋に入ってきた。
「いやー、スッキリしたー。海を見ながらの風呂っていいもんだな。…ん、なに?」
 胡乱な眼差しを向けてくる恋路を見て彼が首を傾げる。
「いや、お前…さすがにまずいだろ。一緒に風呂入るって」
「え、なんで?」
 何の疑問もなく応えられて恋路はどうしたものかと半眼になった。それを怪訝そうに見ていたファルシオンがああ、と声をあげ気の無い表情で言う。
「なんだそういう意味か。大丈夫、俺は年上の女の人じゃないと勃たないから」
「…お前の性癖なんぞ知るか…」
 もうついていけないとばかりに恋路は肩を落として部屋を出て行った。