授業中、教室から窓の外をずっと眺めていた。
今日も曇天日和。工場から排出されるぶ厚いスモッグに覆われて空なんて見えやしない。
クロエは今日は学校に出席していた。
最近学校をさぼっている事が親にばれてしまったのだ。昨夜は酷く叱られた。
そして今日は、忙しいはずの父がわざわざ学校まで送迎をしてまで彼女を学校に送り込んだ。
なので、さすがに今日はさぼる気がしない。
机に頬杖をつきながらぼんやりと考え込む。
(・・・・・あの人、何してるんだろーなー・・・・・)
紫髪の男の姿を思い出す。また、あの道路沿いのオープンカフェで変なの注文しているんだろうか。
よくよく考えてみたらまだ名前を聞いていなかった。
(ていうか、あの人自分の事全く話そうとしないし・・・・・もしかして危ない人だったりして)
温厚な性格ではあるみたいだが・・・・・よく自分はあれだけ得体の知れない男と一緒に行動していたものだとクロエは小さく笑った。
――だが。
(アリアは・・・・・何しているんだろう)
ふっと彼女の事を思い出し、視線を落とす。
結局、あの日は部屋で彼女の帰りを待っていたが彼女は姿を現さなかった。
学校にも行かず、友達も居ず、独りでどうやって食料を調達しているのかも知らない。
(あの子は・・・・・いつも、何を考えて暮らしているんだろう・・・・・)
いつからだったのだろう。彼女の事がわからなくなってしまったのは。
あの子が本当に、音を消せるというのなら――どうしてうるさいだなんて思うんだろうか。音を消しているんじゃないのか。うるさいって何だ?何に対して、彼女は脅えているんだ――
考え事に集中していたからなのだと思っていた。音が聞こえなくなっていたのは。
後ろの席の友達に肩を叩かれ、クロエは顔を上げる。
振り向くと後ろの席の友は何かを必死に訴えかけていた。口をぱくぱくと動かしながら、無言で。
(これは――!!)
音が消えていた。
また、あの世界がやって来た。
自分の内なる鼓動だけが聞こえてくる異様な世界。
(そんな、学校にまで・・・・・!)
教室内は、音が聞こえている場合であれば――きっと、ざわついていたのだろう。恐がる女子生徒たちに、辺りを伺う男子生徒、黒板に落ち着いてと書き示す教師。
学校で音が消える事は今まで無かったというのに・・・・・!
クロエは不安げに視線を向けている友達に落ち着くようにと手で制し、教室の窓から身を乗り出す。
外に広がっていのは相変わらずの灰色の空、その下に広がっているのは色の無い建物の群れ、そしてクロエは息を呑んだ。
校庭の真ん中に立っている少女が一人――アリアだった。
――アリア――!!
叫ぶが、声は出てこない。
彼女は微動だにせずこちらを見つめていた。遠くて彼女の表情は伺う事は出来ないが――明らかにこちらを、クロエの居る場所を見ている。
やはり、アリアが――!!
クロエは教室から駆け出すと、階段を飛び降りるように降りて行き校庭へと急いだ。彼女から目を離した隙に彼女が逃げるのではないかと思ったがそれは違った。あの目は明らかに自分を待っていた。
玄関から飛び出し、校庭へと降りる。
そこにはアリアが待っていた。
――正面から顔を合わせるのはどれくらい久しぶりだっただろう。
クロエは肩で息をしながら一歩、一歩彼女に近づく。
校庭の真ん中で立っている彼女は折れそうなほど細かった。風に吹かれて飛んでいってしまいそうに思えた。
だが、前髪から覗くその目だけは煌々としていた。若葉の色だというのにその瞳には何もかもを焼き尽くそうとするような不気味な色があった。
手を伸ばせば届く距離まで彼女に近づく。
アリアは無表情のままでクロエを見上げていた。
――どうして、こんな事をするの。
――・・・・・。
――どうして、私をそんなに憎むの。
――・・・・・・。
――私が何かしたって言うの?なら、その理由を教えて。
――・・・・・・・。
――アリア、何か言って。
――・・・・・・・・。
どこまで彼女に伝わっているかはわからないが。
クロエは口を動かし、アリアに問い詰める。
――お願いよアリア、何とか言って。
アリアの細い肩を掴み、必死に呼びかける。彼女はされるがままに揺さぶられて無表情のままクロエを睨んでいた。
だが、固く閉ざされていたその口が開くのを見てクロエは動きを止める。
緩慢とした口の動きだった。
その言葉を告げた後、彼女は持っていた袋をクロエの足元に投げた。
先日アリアの部屋に入ったときに置いていった食料の袋。手もつけていないようで袋からは菓子の包みがはみ出ていた。
最後に一瞥だけくれ、アリアは走り去る。
独りその場に残されたクロエは地面にへたり込んだ。声が聞こえなくとも口の動きでわかった。
――アリアは世界を壊す。
それは紛れも無く、世界を敵にしたアリアの宣戦布告だった。



* * * * *



何故私を憎むの。
クロエの言葉を思い出し、唇を噛みながら裏路地を歩く。
――何でかって?言ったとしてもあんたなんかにわかるもんか。
今は、そんな事はどうでもいい。鳴っている腹を押さえ立ち止まる。
今日こそは晩御飯を確保しないと。
路地裏から目をぎらつかせて辺りを伺う。
今日はまだ何も食べていない。昨日も結局小さなパンひとかけらしか口にする事が出来なかった。
お腹が空いた。素足が寒い。夜あの音に苛まされて眠れなかったから頭が痛い。でもいつもの事だから気にはしない。
通りに出て人込みの中を伺う。
地元の人と目が合うと、あからさまに彼らは自分を拒否するように何かを呟いて早足で通り過ぎる。
その言葉は聞き慣れていた。両耳を手で塞ぎ、一言呟いて彼女は歩き出す。
無音になった世界で、書類を見て立ち止まっていたサラリーマンの横を通り過ぎ路地裏に駆け込んで行った。

一瞬だけ音が消えた。

その異常に長い耳を立てて辺りを伺うと、路地裏へと駆け込む小さな人影が視界の隅に入る。
「・・・・・あーあー。あのサラリーマン、あんなところで突っ立ってるから・・・・・」
一部始終を見ていたウェイトレスが呆れた声を出す。
「あれは財布スラれたわね。ほら、必死でポケット探ってる」
「・・・・・あの子、有名なんすか?」
バジルピザを頬張りながら彼は横に立つウェイトレスに尋ねる。
ここ最近この店に通っていた為に、顔馴染みとなったウェイトレスはため息をついて応えた。
「有名よ。確かあの廃棄地区に住み着いているって子だったかしら。地元の人は警戒してるからね、ああやってこの街に不慣れな人を狙ってスリやってるの。何度も見つかっては補導されてるけど・・・・・懲りない子よね」
「・・・・・親とかは居ないのかな」
「さあね。居ないんじゃないのかしら。何にせよ、この通り治安も悪いんだし・・・・・うちの店が評判悪くなるんだから何処かへ行って欲しいんだけど」
彼は苦笑し、口を尖らせているウェイトレスにチップを払って立ち上がる。
チップの多さに笑みを隠し切れずにウェイトレスは男に尋ねた。
「今日はあの女子高生の子と一緒じゃないの?」
「今日は学校らしいですよ。僕も今日は一人で行動する事にします」
そう言って彼は小さな人影の消えた路地裏へと歩いていった。


露天でパンとカップに入ったスープを買い、路地裏の奥で座り込んで食事をする。
手に持っている財布の中には札が数枚と、金貨が一枚。思わぬ収穫に鼻を鳴らす。ここまであれば一週間は余裕で暮らせるだろう。やはりいい服を着ていたサラリーマン、金を持っている。
ついでに切れてしまっていたマッチと水も買い込んでおくか。そう思い立ち座っていたポリバケツから腰を上げる――が。
視線を感じ、怪訝な顔で辺りを伺う。
昼間だというのに暗い路地。横に立ち並ぶ古いアパート群には人は住んでいるらしいが、人の気配は全く無い。音も聞こえてこない。
首を傾げながら歩き出す。
しかし前方に動く影に気づき立ち止まる。
目を凝らすと、立っていたのは自分とそう年の変わらない少年が二人。――顔見知りだ。
そのうちの片割れが嫌な笑みを浮かべながら手を上げる。
「・・・・・よぉ」
身を翻し、反対側へと駆け出す――が。
「っ!?」
立ち塞がっていた男に勢いよくぶつかり、弾かれ地面にうつ伏せに倒れこんでしまった。
「・・・・・!」
「今日こそは逃がしゃしねーぞ」
囲まれた。
前方に二人、すぐ後ろに一人。
立ち上がろうともがいてるうちに、後方に立っていた巨漢の少年に髪を掴まれ吊り上げられた。
前方に居た二人が近づいてきて、にやにやと笑いながら頬を汚い手で撫でる。
「この間は逃げられたが、これで今日のところは逃げられやしねーだろ」
髪を掴まれたまま睨みつける。そして自分の頬を撫でている手を思い切り噛んだ。
悲鳴を上げて少年はもう片方の腕の拳で思い切り彼女の顔を殴りつけた。ぶちぶちと音を立てて髪が抜け、壁にぶつかる。
「いってぇ・・・・・!
このクソガキ、自分の置かれてる状況ってのがわかってねぇのかよ!!」
後頭部を強く打ち朦朧とする意識の中で、自分の腕の中にあった財布が少年の手にあるのを見た。
中身を見て少年たちが歓声を上げる。
「兄貴、見ろよ。こいつ良いモン持ってたぜ」
「すげー!大金じゃねーか!」
「おー、これでまたヤクが買えるな」
「早く買いに行こうぜ、こんなやつほっといてよ」
ああ。行ってしまう。
意識を失いそうになりつつもアリアは手を伸ばして、聞こえ出したあの"鼓動"に身を委ねた。無音の世界、ただ聞こえてくる鼓動は四つ。その内一つは自分。
――行かせはしない。
身を委ねた鼓動が遠ざかる少年の一人の鼓動と重なった。

「――しね」

その鼓動を掴むように伸ばしていた手を強く握る。
「う――ああああああああああああああっ!!??」
その瞬間、歩いていた少年が絶叫して倒れこんだ。
「あ、兄貴!?」
「どうしたんだ、一体!!」
倒れこんだ少年は胸を押さえ、白目をむいて痙攣しだした。
その光景を見ていたアリアは小さく笑う。
少年の鼓動を止めた瞬間、自分の胸に激痛が走ったが――構いやしない。
壁にもたれながら立ち上がり、再び弱まっていた鼓動に身を委ね、同調した残る二つの鼓動を掴みかかる。
「みんな――しんじゃえ」
異常さに気づいた少年たちが悲鳴を上げて逃げ出す――が、もう鼓動は捕まえた。
倒れた少年のときと同じく鼓動を掴み、自分の鼓動を介して止めようとした、その時。
視界が真っ黒になり、アリアは倒れこんだ。
「――!?」
聞こえていた鼓動が消えてゆく。その鼓動は――自分のもの?どうして、消そうとしたのはのは奴らの鼓動だというのに・・・・・。
再び音の無くなった真っ暗な世界、沈んでゆく中で誰かが自分の手を掴んだような気がしてアリアの意識は途絶えた。


その場に残された少年二人は唖然と裏路地の奥を見つめていた。
「・・・・・人・・・・・が、落ちてきたよな」
いきなり上空から落ちてきた人影が崩れ落ちた少女を担ぎ、地面に倒れて動かなくなっていた自分たちの仲間に触れ、そのまま路地裏の奥へと去って行った。
一瞬の事にただ唖然とするばかりだった。
「なん・・・・・だったんだ?」
と、倒れていた少年から呻き声が聞こえて二人は慌てて彼に駆け寄った。
意識を取り戻し、状況が把握できていない様子の彼の胸には、文字のような不気味な光る傷痕が残っていた。
それに気づいた少年が、あ、と声を上げると傷痕は光を放ち霧散した。
後には何も残ってはいなかった。









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