「せ・・・・・世界を壊す?」
途方も無い言葉に唸る。
「戦争でも起こす気なの?」
だが男は苦笑し、指で回していたペンを机の上に置いた。
「君は、世界はどうやって成り立っていると思う?」
「・・・・・どうやって、って・・・・・」
そういう理屈っぽい話は苦手よ。そう心の中で呟きながら頭を捻る。
「住む人が居て、住める場所があって、それでそれぞれの人が生活して――っていう答えじゃあダメ?」
自信なさげに最後の方は尻すぼみのごとく小さな声になる。だが男はにっこりと笑った。
「ダメじゃないよ。立派な意見だ。
でもね、世界について全く異なる捉え方をした人々が居たんだ。
――幻想人まぼろしびとっていう種族の事、知ってる?」
急に聞かされた聞き慣れない言葉にさらに頭を捻り――記憶の片隅で見つける。
「確か・・・・・・歴史で習ったわ。
なんだっけ、魔法が使えた亜人種族の事でしょ?今では特別保護対象になってるって話・・・・・・」
男は満足そうに頷いて続ける。
「うん、まぁ彼らの話をすると長くなるから止めとくけど。
彼らはね、世界に関して人間とは違う考え方をしていた。
世界は人々の認識と確信によって存在している。
そこにイメージと知識がなければ世界は成り立たない、と考えていたんだ。
つまり、自分たちの思考がなければ世界は意味を失くしてしまうと。
踏みしめるはただの大地、その上に広がるただの空、その元でただ生きている生き物。そこにイメージが無ければ世界という概念は生まれない――ってね。
・・・・・まぁ半身を幽界に突っ込んでいた種族の話だから、そんな事僕らにはよくわからないんだけど」
クロエはもっとわからなかった。
何度か瞬きをして――聞き返す。
「・・・・・何の話してたんだっけ」
思考をはぐらかす暇すらなく男は続ける。
「世界について。つまり世界を壊すっていう事に関しては二通りの考え方があるって事さ」
世界を何らかの力を持って破壊するか。
世界を世界たらしめている認識と確信を何らかの力を持って壊すか。
「・・・・・・・・・・・。」
「君のお友達は、その使命を果たせる事の出来る使徒として選ばれたようだね」
「そ・・・・・そんな」
クロエは思わず声を荒らげた。
「あの子は――あの子は、確かに普通の女の子らしくないとこもあるけど――本当はいたって普通な子だったのよ?それが、なんで天使とかなんとかに選ばれるなんて・・・・・・」
「・・・・・南の港町で見た少年は、いたって普通の10歳の男の子だった」
混乱するクロエをなだめるかのように男は静かな声音で言った。
言いかけていた言葉を喉の奥に押し込め、クロエは男を見る。
クロエが黙ったのを見てから彼は椅子の背に体重をかけながら話を続けた。
「彼は半年前の聖夜に天使の夢を見た。そして自分の持つモノを捧げ、力を手に入れた。――自分と、自分の母親を迫害する世界を壊す力をね。
彼の先祖は奴隷としてこの大陸に連れて来られた民族で、奴隷制度は廃止されたものの未だに彼らへの差別と侮蔑の眼差しは消える事は無かった。
父親はすでに亡くなり、彼は母親と二人だけで暮らしていた。その日の食べ物に頭を悩ませるような貧しい生活だったそうだ。
二人だけで暮らしていた少年にとって、自分たちを受け入れてくれない小さな港町が世界の全てだった。
そして、ついに食料もお金も尽きた聖夜。宴に浮かれる街の片隅で彼は天使に出会った。
そして捧げた。
自分の持つ、数少ないモノ――彼は自分の両足を天使に捧げ、彼を取り巻く世界を壊す力を手に入れた。
僕が彼の元を尋ねた時には、港町には彼と彼の母親しか居なかったよ。
町並みや佇まいはそのままで――住人たちは皆消えていた。彼の仕業だった」
「そ――そんな・・・・・」
「世間には知らされていないはずだよ。
僕がその町に辿り着いたときには、町の周りを濃い霧が覆っていてとてもじゃないが普通の人間では入れそうに無かった。一種の迷路のような空間になっていて、結界を解かなければ同じところをぐるぐると回る惑いの霧。
異変を知った地元の警察とかが居たけど・・・・誰も中へは入れなかった。
その霧は彼が作り出したものだったみたいだけど、僕がその霧を抜けて町に入ると――町の住人は誰一人として町には居なかった。
そして、彼と彼の母親を最期に見たのは僕だけだ」
男は顔を伏せて呟いた。
「『ぼくは、この世界が憎い』――そう言い残して、彼は最期に母親と共に"力"に飲み込まれてこの世界から消えてしまった。・・・・・まだ生まれて10年しか経っていない子が、自分が生まれてきた世界を憎みながら消えて行った。
憐れむ気はないけども・・・・・もし本当に天使がそれを仕向けたのだとしたら――悲しい話だと思わないかい」
初めて男の真顔を見たような気がする。
この人になら話してもいいかもしれない。クロエは静かに口を開いた。


「私たちは幼馴染だったわ。いつも二人で遊んでた」
次の日、出勤ラッシュも終え始めた時間にクロエは男を連れ出して街を歩いていた。
向かう先は彼女の部屋。
何としてでも彼女を助けてもらいたかった。
「私、兄弟が居なかったし、昔は引っ込み思案だったから・・・・・友達が居なくて寂しかったの。母が遊んでくれてはいたけど、やっぱり同年代の友達が欲しくて。
一人で公園とか出かけては、遠巻きに皆が遊んでいるのを見ているような子だった」
「へぇ・・・・・今はそんな風には見えないけど」
「そりゃ、多少は性格も変わるわよ。今は友達結構居るけどね」
意外そうに自分を見る男に苦笑を返しながら続ける。
「でもある日、いっつも一人で街を駆け抜けていた女の子を見て――その子を追いかけてかけっこをしたの。
その子がアリアだった。
彼女はいつも一人で遊んでいた。友達も作ろうとはせず、いつも走っているか一人でぶらんこをこいでるか。
私も最初のうちは無視されていたけど・・・・・彼女をいつも追いかけているうちに次第に仲が良くなって、一緒に遊ぶようになった」
アリアは変わった子だった。同年代の女の子が興味を持つような物には興味が無く、ほっとけばいつまでも空を見ていたり森の中で寝転んでいるような女の子だった。
クロエよりも年下だったが、妙に大人びていて、あまり喋らないがその口から出る言葉にはいつも驚かされていた。
いつも薄汚れた顔でボロボロの服を着ていたが、彼女は可愛かった。笑った顔を見た事はなかったけれども。
「でも・・・・・仲が良くなるにつれて、彼女を取り巻く環境が悲惨な事に気づいたわ。
父親の顔を知らなくて、母親は重度のアルコール依存症。体中痣だらけで街をうろついている彼女を何度も見かけた。・・・・・あの子は何も言わなかったけれど」
そして去年その母親が事故で死に、彼女は別の街に住む母親の親類に引き取られる事になった。
――が。
クロエは道路の向こうに見えてきた建物を指差す。彼女の部屋がある廃アパートだ。
「・・・・・半年前、彼女はこの街に帰ってきたわ。それからなの。この街に異常が起こり出したのは」
廃アパートがある一角は、過去に事業に失敗した自治会の建築物が建て並ぶ場所だった。取り壊しも決まってはいるものの、経済難に追われる自治会はほったらかしの状態にしていて、ゴーストタウンのような雰囲気がこの場所には漂っている。
地元の住人たちはこの一角の治安の悪さを知っていて近づこうとはしない。
それを承知で、アリアはその中に独りで住んでいた。
「こりゃ・・・・・また、オバケでも出てきそうだねぇ・・・・・・」
「地元でもそういうのは有名なとこよ。でもこの中にアリアが居るわ。行きましょ」
アハハ、そりゃ恐いねと乾いた声で笑いながら男はクロエの後に続く。
「私もちょくちょく通ってはいるものの・・・・・あの子、留守なのか出てこないかもわからない状況なの。ここであの子に会えた事はないわ」
「ならよくこの場所がわかったな」
「後を追ったの。それでようやくあの子の居場所がわかって」
「ゴーストタウンに一人住む女の子ってか・・・・・いいねぇ」
朝方だというのにアパートの中は異様に暗く、何度か通路に捨てられたゴミにつまづきながらも先へと向かう。
そしてしばらく進み――アリアの部屋のある階へと辿り着く。
「あそこよ・・・・・一番奥の部屋があの子の部屋」
息を殺し、足音を消して扉の前に立つ。
そしていつものようにクロエはドアの向こうに向かって話しかけた。
「――アリア。私よ。居たらここを開けて。貴方に会わせたい人を連れてきたの」
やはり返事は無い。
「・・・・・留守?」
「わからない。居ても開けてくれないし」
ドアに耳をつけてしばらく様子を伺うが――気配は無い。ダメだわ、とクロエは首を横に振る。
男は小さくため息をつくと、ドアの隙間を覗いた。
「うーん・・・・・なんとかなる、かな・・・・・」
「どうする気?」
「悪いけど強引に開けさせてもらうよ」
そう言って彼は背中に手を回す。取り出されたのは薄刃のナイフ。
「後で謝って許してくれるかな?」
目を見張るクロエを他所に、男はにやりと笑った。
細いドアの隙間にナイフを入れ、力を込めて一気に振り下ろす。
キンッ、と甲高い音を立てて何かが切れた。
男がドアをそっと押すと、今まで開いた事の無いドアがゆっくりと開いた。
初めて目にする、その先にある空間を見て――思わずクロエは息を呑む。
汚い。まず最初に思った事はそれだった。
崩れ落ちた壁の破片があたりに散乱し、元はベランダでもあっただろう窓際には窓も無く吹き抜け状態で、これでは外の気温とそう変わらないのではないだろうか。
部屋の隅には食い散らかしたのか元々この部屋にあったのかは知らないが大量のゴミの山がある。
そして、部屋の奥には彼女が寝ているらしき毛布と枕が無造作に置かれていた。そのすぐ傍には何かを燃やした跡が。暖でもとっていたのだろうか。
しゃがみ込み、黒く炭化した燃えさしを見つめる――それは、クロエがいつもこの部屋の前に置いて行く食料の燃えさしだった。
「まだ毛布が暖かい・・・・・少し前までここに居たみたいだ」
投げ出された毛布の傍にしゃがみ込んでいた男が呟く。
だがその呟きはクロエの耳には入っていなかった。
そのまま呆然と部屋の中を見渡す。
――こんな部屋で、半年もの間アリアは独りで暮らしていたのか――
「・・・・・クロエさん。これ、見て」
自失呆然としていたが声をかけられ、クロエは胡乱な眼差しを向ける。
男は今度は壁を見ていた。
見ると、部屋のあちこちに黒いペンで落書きが描かれてある。床や壁、天井近くにまで落書きは広がっている。
その内容は――
「うるさい・・・・・うるさい・・・・・うるさい、か」
男が呟く。
狂ったように続く罵詈の文字。そして、黒い手に巻きつかれた人の絵。こちらは何を示しているのかはわからない。
何にせよ、クロエにはわからない。
彼女が何を求めているのか――わからない。
「・・・・・大丈夫、クロエさん」
「・・・・・え・・・・・ああ、大丈夫よ」
頭を軽く振り、クロエは立ち上がって男の横に立つ。
「・・・・・なにか・・・・・わかった?」
「うん。やっぱり、そのアリアって子・・・・・天使に介入されているみたいだね」
男は淡々と言い放ち、壊れた机の上に置いてある写真立てを手に取った。
「しかも・・・・・どうやら力を使いこなせていないようだ。
これは早く何とかしないと――取り返しのつかない事になる」
写真を見て、男は苦笑を浮かべていた。






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