楽園のむこう側

 朝日と共に港に船が現れた。
 その船というのはむこう側の組織、ケルヌンノスの装甲船だった。
 船から港に転移してきた森人の壮年の男はパンプルムーゼたちの上司──ティフィンが耳打ちしてくれた──で、その他にも彼女たちと同じ制服を着た人々が港に現れ、港街の住人が見守る中、捕らえられた武装集団の者たちを船に乗せていた。重傷を負っていた狼型の獣人男も術で治療されながら船へと乗せられていく。
 その光景を見ながらファルシオンは上司たちに説明を終えぐったりとしているパンプルムーゼに声をかけた。
「……あわただしいな。もう行くのか?」
「結界が不安定らしいんだ。制御柱の攻略も結局は失敗したようだし……いつ結界の綻びが閉じるかわからない状態だ。彼らを収容次第、この港を発つ」
「……むこう側に帰るのか」
 彼女は肩をすくめた。すでに結界で見えなくなっている海の向こうを目を細めて見つめ、そしてファルシオンの肩を叩いた。
「そこが私たちの居場所だからな。こちら側と比べてしまえば過酷な世界だが……生まれ育った世界だ、何とかやっていくよ。君が申し訳がる必要はないさ」
 装甲船からティフィンが降りてきた。困り顔をしながらこちらに歩いてくる。
「ムース、やばいよ〜。武装集団の船を見つけた時の事を詳しく報告書に書けって〜。どうする?昼からの仕事さぼって釣りしてたらたまたま通りかかったのを見つけたから、なんて書けないよね」
 彼の言葉にパンプルムーゼが腕を組んで呻く。
「む……まずいな。……ああそうだ!何気なくお前の第六感がざわついて外に出たら奴らの船を見つけた、これでどうだ?」
「そのパターン、この前のうっかり倉庫炎上爆砕事件でもう使ったよ〜」
「うう……在所に着く前までに何か考えとかないと……」
 装甲船の側面に次々と光が点りだす。動き出したようだ。黒い船を引いて装甲船が港から出航した。
 ティフィンがそれを見て少し寂しそうに呟いた。
「もう行かなくちゃ。船が進みだした」
「じゃあ、世話になったな。他の皆にもよろしく言っておいてくれ」
 そう言って、笑いかけ──パンプルムーゼは付け足した。
「……ベヘモト殿に謝っておいてくれないか。本当は彼を……少し見損なっていたんだ。けど、それは私が知らないだけだった。彼はずっと守ってくれていたんだな」
 ティフィンが差し出した手を取ってパンプルムーゼはもう一方の手を上げた。
「クロノスが運び、連れ戻すところにわれわれは従おう」
「何だって?」
 いつかと同じように聞き返す。むこう側に帰る二人は笑っていた。
「別れの言葉だ。また会えるといいなって事。さようなら」
「元気でね、ファルシオンくん」
 文字が二人の体を包み消えた。
 船の光明が一際強く輝き、船の進行速度が速まる。そして船もむこう側に消えていった。
 まだ気を失ったままのルージュを介抱していたアリアが横に来て、見えなくなった船に手を振っていた。ファルシオンは彼女の頭(に、被せられた帽子)を軽く撫でて海に背を向けた。
 が、あっと声を上げて振り向く。
「どしたの」
 アリアが尋ねてくる。ファルシオンは手にしていた剣を唖然と見つめて呟いた。
「これ返すの……忘れてた」
 青薔薇の剣は朝日に照らされて冷たく輝いていた。


* * * * *


 それからの三日間というものを彼は覚えていない。曖昧な記憶の中で誰かと何か会話をした覚えはあったが最早その相手が誰だったか、何の会話だったのか覚えていない。何を食べたのかも覚えがない。もしかして全て夢だったのかもしれない。
(夢みたいなものだったな……)
 森人、獣人、魔術、怪獣──最早痕跡すらない。皆むこう側に去っていった。
 あくびをしながらベッド脇の窓枠に顔を乗せてファルシオンは海を見ていた。真っ青な海、真っ青な空、真っ白な砂浜が窓の外いっぱいに続いている。
 彼が眠り果てている間にも街の復興作業は始まっていた。すぐ近くからも木を切る音が聞こえてくる。
 比較的に住宅地は被害が少なかった。彼はアースの家に戻り、前に使っていた部屋の中で三日間眠り続けていた。すでに髪の色は元に戻り、今は眠り過ぎで頭に鈍痛が残っている。
 この家の住人たちは今は店内の壁を直しているらしい。にぎやかな声が壁を伝って響いている。
 誰かが廊下を歩いてくる音がした。
 開いたままの扉から顔を出したのはルージュだった。
「ファルシオンくん、起きた?もうすぐ船の時間よ」
「ああ、ごめん……荷物は」
「昨日私がまとめておいたの。それで全部よね」
 港が壊滅状態となり船の出航どころではないと思われていたが、この数日の間に仮の港が完成していた。
 今回の騒ぎで足止めを食らっていた出稼ぎ労働者たちが、この街で復興作業のために雇われて働き出していたからだった。仕事にありつけた出稼ぎ労働者たちの仕事は速かった。
 資金難が続いてはいるものの、近隣の街からの募金も少しづつ集まり街は賑わっている。この調子だと復興が全て終わるのに三年とかからないかもしれない。
 ファルシオンが寝ていたベッドのシーツを畳みながらルージュが言った。
「でも、よかったね……船に乗せてもらえることになって。それも豪華客船。あそこに停泊している船なんでしょう?」
 仮の港には立派な造りの船が停泊している。
 今回の事で街の防衛に協力したファルシオンたちに、この街の権力者が用意してくれた船がその豪華客船だった。先日の津波で多くの船が故障しすぐに動かせる大型の船がそれしか無かった事もあったが、その船での一等室を無償で与えられたという話を眠気の残る頭の中でおぼろげながら覚えている。
「一等室の良さをアースさんから聞いて、アリアがすごく興奮していたわ。色々あって、大変だったけど……よかったよね」
 ルージュが嬉しそうに笑う。
 彼女は大総主の事について何も言わなかった。もしかしてその記憶が無いのではないかと訝ったが、彼女に直接聞くことは出来ずにいる。
 何事も無かったかのようにルージュは明るい表情で部屋を整理している。
 ファルシオンは立ち上がってルージュがまとめてくれていた自分の鞄と、壁に立てかけてあった長い包み──青薔薇の剣を手に取った。
「行こう。今度こそ出発だ」
 港にある船の汽笛が響いてきた。もうすぐ出航だ。


* * * *

 
 一通り客室を見終えたアリアが歓声を上げた。
「すげー。いっとうしつすげー」
 豪華客船の一等室というだけある。部屋が四つもあり、それぞれが大きめのアパートの部屋程度の大きさがあった。
 船が動き出して二十分程が経っていた。窓から見えていた港街はすでに遠ざかり街並みはシルエットにしか見えない。部屋に置かれた重厚なソファーに腰掛けてファルシオンは机の上にあった林檎をかじった。
「これならもうちょっと船旅をしていてもいいな」
 恋路はさっさと向かいのソファーに横になっていた。彼の腹に一度勢いをつけて飛び乗ってから(恋路は悶絶していた)アリアたちはベランダへと出て行く。 
 置いてあった新聞を広げてファルシオンは記事を目で追っていく。
 見出しには一面に『海原の国の港街、謎の大地震から三日』とあった。
 どこの新聞も似た様な記事しか載っていない。三日前に港街で大地震が発生、局地的な地震で港が崩壊──しかし犠牲者は無し。被害にあった街には謎の森も発生しており政府が調査団を派遣した。そのような内容が続いている。
 アース──ベヘモトの獣の事や黒い船、獣人たちの事は一切書かれていない。
 誰かが喋ったところで信じてもらえないだろう、世界のむこう側から来た者たちの話など。実際あの港街の住人ですら何が起きたのかわかっていた者はいなかったのだろう。
 窓の外を見る。
 アリアたちがはしゃいでいるその奥、海のむこう──今日も世界はそこで途切れていた。
「……楽園の……むこう側、か……」
 何気なく呟いてファルシオンは新聞の続きを読んだ。アリアたちの笑い声が聞こえ、恋路の寝息も部屋に響いている──数分後に部屋内に響いたファルシオンの絶叫で恋路はソファーから転げ落ちた。
 ベランダの手すりに腰掛けていたアリアが振り向く。
「どーしたの」
 彼はあんぐりと開けた口元を僅かに動かして呻く。
「あ……当たってた……」
「さっき食べてた林檎が?」
 首を傾げるルージュに彼は勢いよく首を横に振った。
「違う!宝くじ!」
 ルージュがさらに首を傾げる。
「宝くじ……ああ、あの占い師の人に教えてもらって買ったのが?」
「それが無いんだ!どこにもない!なんでだ!!」
 彼は自分の鞄や持ち物をひっくり返して探し回っていた。頬に手を当てて困り顔でルージュは言う。
「買って、確か机の上に置いていなかったっけ?」
「つ、机の上!?そんな馬鹿な!?財布に入れたような覚えが……!」
「でも、あの騒ぎでアースさんの家も散らかっちゃってたから……」
「あああまさかの紛失!?」
 頭を抱えファルシオンが絶叫した。
「くじってお金もらえるやつ?いくらもらえるの?」
 アリアの問いにファルシオンが両手を震わせながら答える。
「……七千万……」
『ななせんまん?』
 あまり聞いたことのない額にルージュとアリアは顔を見合わせた。金額を言葉にしたファルシオンが崩れ落ちる。
「あああぁ……七千万……今海原の国の金は高いから……移民の国での金に換えれば一億近くに……土地売買と株で更に儲けて……犬とか猫をいっぱい飼って老後は安穏な生活が出来るのに……」
 人生設計をぶつぶつと口にしながらファルシオンはうずくまって頭を抱えていた。動かない彼を見下ろしアリアはため息をつく。
「いーじゃん。アリアたち、すっげごうかな船乗せてもらってんだから」
「うううぅ……」
「そうよ。ファルシオンくん元気出して。あ、この船、甲板上にプールがあるんですって。後で一緒に泳ぎに行きましょうよ」
「ううううううぅ……」
 七千万の偉大さがわからない二人で膝を抱えるファルシオンをなだめる。それを部屋の中から呆れ顔で見ていた恋路はあくびをすると、ソファーによじ登って再び眠りだした。
「ううう……ななせんまん……」
「な〜なっせんまんの星の下〜あなたとわたしが見つめあう〜」
 手すりに腰掛け足をぷらぷらと振りながらアリアが調子外れな声で歌う。どこかで聞いた覚えのある歌だったが今のファルシオンの頭では思い出せない。
「うううううぅ……」
「みえないかべが〜あるけれど〜いつかは二人手をつなぐ〜んーんんんー」
 歌詞を覚えていないのか歌の半分以上は鼻歌になっていたが、アリアのやる気のない歌は海風に乗って流れていった。
 本日の海は穏やかでどこまでも青い。


* * * * *
  
 
 船を見送り家路に着こうとしたところで、アースは路地から見知った人物が視線を向けている事に気づいた。
 立ち止まると先を歩いていたシャルトリューズが声をかけてくる。
「アース、どうしたの?」
「……知り合いがいた。先に行っててくれ」
「じゃあ、マリーナさんの店に行ってるわ。ちょっと用事があるから……」
 ノチェロ、グレナデンを連れて彼女は歩いていく。
 アースは苦笑しながら見知った男の元に歩み寄った。
「よぉ。こっちにいたんなら、顔ぐらい出せばよかっただろうに」
 銀髪の、異国風の格好をした男が少しだけ顔を上げる。しかしフードを目深に被っているためその表情は伺えない。
 頷きもせず彼は海を見た。アースも海を見る。船がすでにかなり遠ざかっている。
「もう行っちまったよ……まぁフェニックスもついてる事だし、大丈夫だと思うけどな……。お前も心配で見に来たんだろ?」
「…………。」
 返事はなし。それもそうだ──彼は言葉を持っていない。反応のない彼に慣れているアースは一人で続けた。
「これからどうする?お前はむこう側に戻るのか?だったら、他の奴らによろしく言っておいてくれ」
 と、通りからグレナデンが走ってくるのが見えた。アースは彼女に向かって軽く手を上げると、肩越しに振り返り言う。
「俺も行くよ……じゃあな、クロノス」
 男は音も無くその場から消えた。
「とーちゃ!」
 グレナデンが足にしがみ付いてくる。彼女を抱え上げ肩の上に乗せた。
「ママたちはどうしたんだ?」
「ママ、マリーナさんとおしゃべりばっかりしてるの。にーちゃんは先に帰っちゃった。グリはとーちゃといる!」
 港の至る所で復興作業が進んでいた。街中に広がっていた森の木は切り倒され材木となって運ばれていく。港に残っていた土砂も重機で埋め固められていた。
 グレナデンが帽子を引っ張った。こら、と言いながらニット帽を被り直す。彼女は口を尖らせて耳元で呟いた。
「とーちゃ、またワンワンになってよ。グリもせなかにのりたかった!」
「んー、また今度な。疲れるんだよあれ」
 港を抜け商店街に辿り着いたところで、街頭では募金を呼びかけるボランティアの人々が立っていた。それを見てグレナデンが降ろして、とせがむ。
 地面に降ろすと彼女は走ってボランティアの人々のところへ向かい、募金箱に何か白い紙切れを入れて戻ってくる。再び彼女を肩に乗せたところでアースは尋ねた。
「何を入れたんだ?」
「ねーとーちゃん、くじって当たるとお金もらえるんだよね?いれてきたの」
「くじ?何でお前そんなの持って……」
 グレナデンはにっと笑った。
「おうちにあったの。当たってるといいねー」
(……シェリーがこっそり買ってた、とかか?)
 そう勝手に解釈し、アースはそうだなと頷いた。






End.