6.



ファルシオンの造り出した光が山の中を照らす。

すでに山頂までの一本道は亡者たちに埋め尽くされていた。
ファルシオンが術で亡者たちを退けていくその後をアリアとルージュが続く。
走りながらファルシオンは桜の木について話した。
「森人(もりびと)の話によると、桜の木の根は幽界に通じているらしい。
ヤマトの人たちは昔から墓場に桜の苗を植える習慣があった。桜の根は土の中に葬られた骸から繋がっている虚(うろ)を通り幽界に根付く。そして花を咲かせるんだ。だから昔から、桜の木がある山や森では亡霊や幽界の住人が住むと言われてた。
それにあれだけ大きな桜の木ならばなんらかの霊力を持ったとしてもおかしくはない。霊地に根付く古木だしね」
と、その話を聞いていたルージュが疑問符を浮かべた。
「でも、どうして今更こんな大変なことになってるの?桜はずっと昔からあそこにあったんでしょう?」
「それなんだよ」
ファルシオンは横手から飛び掛ってきた亡者を影を使い薙ぎ払い言う。
「どうして今になってこんな事になっているのかって考えてみたんだ。・・・・・・街の人たちの話によると、半年前から特に霊やら妖怪やらがあの山に現れるようになったらしい。
その半年前っていったら、あれさ」
「アリアが天使をみたひ!」
アリアが手を挙げて言う。その通り、とファルシオンは頷く。
「天使の夢を見た人々がいた日だよ。たしかにあの日から、世界がずれだしてるような気がするんだ。
僕の力にしても、アリアの力にしても、あの日を境に使えるようになった。
それだけじゃない、それまでただのおとぎ話だとされていた森人や獣人の民が人間界に現れた事、世界の終末を望む人々が現れて「彼ら」の世界を終らせていった事――半年前が暁の声だったんだ」
それに、レンジの「入り口」を開けたという言葉の意味。
「きっと、彼は・・・・・・今夜入り口を閉める気だ。あの蛇が完全に出てくる前にね」
彼らの登る階段の横手、森の奥には多少透けているもののクチナワの白い腹が見えた。その白光りする美しい鱗の一枚一枚すら確認できる。
「間近で見ると、ほんとに大きな蛇ね」
爬虫類が苦手だというルージュがクチナワを見て呟く。
山の頂上もまだ見えはしないが、クチナワの頭もいまだ見えてこない。
「なんせ、ここいらの産土の神を殺したって言う蛇らしいからね。まがりなりにも神って名を持つものを殺せるなんて、そうと・・・・・!?」
ファルシオンは途中で口を押さえた。
クチナワの放つ瘴気が強烈な風となって吹いてきたのだ。眩暈と吐き気が彼らを襲った。瘴気に当てられて、辺りの亡者たちが勢いづく。力を増した亡者の一体が座り込んでいたアリアに襲い掛かり、ルージュが悲鳴を上げる。
しかし間一髪、ファルシオンの描いた文字から現れた青い霧が亡者を包み込み、跡形もなく消し去った。アリアの手を取り彼女を起こしながら彼は言う。
「こりゃ・・・・・・頂上までは厳しいな」
先の間に亡者たちに辺りを囲まれてしまう。彼らの真っ白な顔にぽっかりと開いた穴のような目がこちらを見ているだけで寒気が走った。
と、腕を引っ張られ振り向く。
「ファルシオンくん・・・・・・・」
ルージュが見ていた先には、両足が無残に千切れた女の霊がいた。ぶらりと両手を垂らして立って(浮かんで?)いる。
「レイコだ」
アリアが呟くのが聞こえた。
絶対夢に出てくるな、と心の中で嘆きながらファルシオンはレイコを睨む。
こんばんわ、狭間にいる人たち
彼女は真っ赤な唇を開いて言った。
今日はこっちの世界もお祭だけど・・・・・・私らの世界でもお祭なのよ
「祭だって?」
そう
女はクチナワを見あげて応える。
私たちの王が再びこの世界に現出する事ができた、おめでたい日なんだから。これもあの臆病な男のおかげね、感謝するわ
周りの亡者たちの笑い声が聞こえた。
ファルシオンは硬い表情で辺りを見渡し、後ろにいるルージュに言う。
「・・・・・・僕から離れないでね。アリアも」
アリアの返事が聞こえなかったので、振り返ると――アリアの姿がなかった。ファルシオンたちはお互いの顔を見て青ざめる。
なんにせよ、ますます早く頂上へと行かなくてはならなくなった。
邪魔をするなら、容赦はしないわよ
亡者たちが殺気立つ。
だがファルシオンは指を立て、歯を剥き出した。
「ケンカ上等。ここは行かせてもらう」
立てた指をそのまま虚空にすべらせ、彼はレイコに向かって文字を描いた。瞬間、空気が張り詰めたように揺らぎ、生み出された衝撃波が波紋のように広がる。
しかしレイコは足のない体で素早く衝撃波をかわし、遠くの木の枝へと飛び移った。
逃げ遅れた亡者たちは衝撃波に飲み込まれ、次々と霧散していく。後には5人(?)ほどの亡者たちと、レイコと、いびつな森の風景だけが残った。
まさか、人間がこんな術を使うなんて・・・・・・・
レイコが驚きの声をあげる。そして何かに気づいたかのように深く頷いた。
そう、あなた幻想人ね
「・・・・・・ルージュ。気をつけて」
ファルシオンは後ろで身を強張らせているルージュに言う。
「僕たちが彼女たちを見ているように、彼女たちも僕らを見ている。僕らが彼女たちがそこに居ると感じられる以上――彼女たちも僕たちに干渉できるんだ。
彼女たちは幽界にしかいられない霊だから、直接僕たちの肉体に干渉することはできないけど・・・・・・同じ領域の精神世界にいる僕たちには干渉できる。魂に直接、だ。その事を忘れないで」
とにかく今は早く頂上へ向かわないといけない。
先程の攻撃でかなりの数の亡者たちを消した為、残っているものたちは脅えたように唸り声だけを上げて後退っていた。
しかし、レイコだけが爛々と光る眼をこちらに向け、攻撃態勢をとっていた。
彼女の姿が消える。
その瞬間、ファルシオンは咄嗟にルージュの手を掴み彼女を引き倒した。彼女の髪が幾本か宙を舞う。
まさか、とファルシオンは目を見張る。しかし考える間もなく目の前にレイコの真っ白な腕が見えた。大きく仰け反り、辛うじて一撃を避けるが右頬に鋭い痛みが走る。
「こん――なろぉっ!」
間髪入れず、倒れこみながら彼は覆い被さってこようとしたレイコの腹を力いっぱい蹴り上げた。蹴り上げたのだ。そのままファルシオンは階段を2,3段転げ落ちて行った。
レイコは大きく飛ばされたが宙で一回転しつつ地面に着地する。
なんてこった――!後頭部を打ち、頭の中で鐘が鳴っているような状態でファルシオンは舌打ちする。
「すでに肉体を持って現出してるってか・・・・・!!」
彼女たちはクチナワと同様に肉体を持ち始めている。強い力を持つクチナワの影響か、入り口が開きすぎている影響なのか、それともその両方の影響なのかはわからないが、恐れていた事がすでに始まっていた。
触れた右頬からは血が出ていた。横まで降りてきたルージュがそれをハンカチで拭ってくれる。
起き上がると、先程よりも色濃くはっきりと姿形の現れているレイコが這い蹲うような姿勢で笑っていた。
耳まで裂けた口が赤々と闇夜で蠢く。
入り口が開かれるというのは・・・・・こういうことなのよ

「エンテ!」
ファルシオンの声が高らかに響く。その瞬間、彼が描いた文字が光の帯へと変化して瞬時にレイコに伸びた。
しかしレイコは速く幾度も紙一重の所で避け、光の帯は彼女を捕らえることが出来ずに空中で霧散した。
彼女の笑い声が聞こえる。
「なんで足がないのにあんな速いんだよ・・・・」
すでに足の有無の問題ではない事はわかっていたが憮然とした顔つきで思わず呟く。
そして向きを変えて飛び掛ってきたレイコを術で生み出した障壁が弾いた。
今日は術の大安売りだ、彼は肩で息をしながら思った。すでに大技を幾度となく放っているがことごとくレイコにかわされてしまっている。
それに加え、辺りを覆うクチナワの放つ瘴気が彼らの体を蝕んでいた。自分の精神力がかなり殺がれている事を感じながら手を考える。
――使える術の中で一番速度のあるものがさっきのか。いくつかの文字を連ねればもっと手があるのかもしれないが、今は試行しているヒマも余裕もない。肉体を持ち始めているからには有効な術は持っているが、当たらないとなれば・・・・・。
何とかして足止めしなければならない。彼はちらりと地面を見た。
やってみるか。
宙に浮かぶ灯火がより一層輝きを増す。
ルージュが彼の造り出した結界の中で不安そうにこちらを見ていた。彼女に大丈夫、と指を立てる。
彼女の後ろに見えるクチナワの頭はすでにかなり上の方まで登っていた。レンジが防いでいるだろうが、早く駆けつけなければ。
深呼吸をし、深く目を瞑りそれと同調する。
間合いを取っていたレイコが飛び掛ってくるのを見る。ファルシオンは地面に手をつくが、息をつく間もなくレイコの腕が彼の頭を薙ぎ払おうとした瞬間だった。
なんだこれは
レイコが驚愕する。
ファルシオンの影から溢れた黒い腕が、レイコの腕を掴んでいた。腕は影から次々と伸びてゆく。
レイコは本能的に腕を振り払い大きく飛び退いた。だが黒い腕は即座に彼女を追い、足を掴む。
「捕まえた」
そしてそのまま地面に押し付ける。レイコが激しく抵抗するが、黒い腕はそれ以上の力で彼女を押さえつけている。
黒い腕がものすごい速さで自分の精神力を殺いでいくのが感じられた。これを外せば、打つ手がない。
彼が手をついていた地面に滑る様に文字を描き、文字は文となってレイコを囲む。
そして文字を描ききった後、ファルシオンは葬送の言葉を口にした。
「――土が貴方にとって、軽くありますように」
円の中心にいるレイコの下の大地が大きく口を開き奈落が現れた。レイコが声にならない悲鳴を上げる――
「エンテ」
声と同時に黒い腕が彼女を放した瞬間、奈落の底から現れた青白い人の形をした何かがレイコの体を掴む。
最期にレイコの吐き捨てるような呟きが聞こえた。
ちくしょうっ
青白い何かはそのまま彼女の体を奈落へと引きずり込んでいった。
大地が大きな音をたて塞がっていく。地面で光っていた文字も消え、後には何も残らない。
「・・・い、今の何?」
「地獄の使者だよ・・・」
ルージュの問いに何とか応えながらも、ファルシオンは座り込んでしまった。
力を使いすぎてしまい、立つ気力さえ残っていなかった。冷や汗がどっと体中から滲み出てくる。
ルージュを包み込んでいた結界を解除すると彼女が走り寄ってくる。
「参った…ちょっと動けないかも」
「そんな、大丈夫?」
その間にもクチナワはじわじわと山を登っている。頂上からは時々ほとばしるような閃光が見えた。
「・・・とにかく上に行かなきゃな。ルージュ、悪いけど手を貸してくれ」
ファルシオンはルージュの肩を借りて立ち上がった。が、すぐに違和感を感じる。
――おかしいな、急に体が軽くなった。
そしてあれだけ使い切った力がみなぎってくるような感覚も覚えていた。
彼女の肩に寄りかかったまま上に続く階段を登る。ファルシオンは歩きながら目を閉じ、静かに横にいるルージュを感じた。黒い彼女のシルエットが見える。そして彼女の中心に、強大な、渦巻くような力の奔流がある事に気づいた。
見間違いかと目を開ける。深い翡翠色の瞳がこちらを覗きこんでいた。
「? どうかしたの??」
「・・・いや・・・なんでもない」
何も知らないルージュの眼差しを避け、様々な憶測を胸にファルシオンは暗い山奥へと走ってゆく。