2.



山の中はシンとしていて、草葉が揺れる音も聞こえてこなかった。
日の光も通さないような鬱蒼とした山道を歩きながらアリアは進む。
道は一本道で、赤い鳥居が頂上までずっと続いていた。あの桜が立つ頂上付近まで行けるだろうか。だが山の中は暗くて鳥居の列はまるで暗闇に続いているようだった。赤い色だけが異様に浮いている。
すでに太陽は沈んでいるだろう、僅かに差し込んでいた夕日の光もいつの間にか消えている。
来た道を振り返って見ていると、急に生暖かい風が道を通り抜けた。風に飛ばされそうになる帽子を押さえる。
と、そのときふと森の中から何かの気配がした。アリアは横を見る。
森の中の一本の木には膝上から無様に足が千切れている女が座っていた。彼女は白い顔に真っ赤な口紅を引いて、アリアを凝視している。
少々驚いたが恐くはなかった。以前自分が住んでいたあの街の廃墟にも彼らはいたのだ。いや、彼らはどこにだっている。ここ半年のうちで確実に彼らの人数は増えていた。
アリアは彼女に尋ねてみた。
「・・・・・・どうしてここにいるの?」
だって死に切れないんだもの
顔を90度回して女が答える。アリアは頭を横に振った。
「でもここはアリアたちの世界だよ。死んだひとはそらにいくんだ。アリアのママもおそらにいっちゃった」
女はケラケラと笑った。
あら、そんな世界の法則なんてとっくに壊されたのよ
生者はこの世界で生きる、亡者は黄泉へ下る、そんな理、もうないの
世界の法則。どこかで聞いたことがあった。その単語を思い出したとき、アリアの視界に天使の虚像が浮かび上がる。眩暈を感じ、アリアはうう、と呻いて頭を激しく横に振った。
だが女はアリアを気にせずに、言いながら頂上を指さした。
あの木が私たちの世界とこの世界を繋げている あの木が花を咲かせている限り、私たちはより確固とした霊としてここに存在できるのよ
眩暈が治まったアリアはふぅん、と答えるとそのまま足を進めた。足のない女がその後を着いてくる。
彼女はアリアに興味を持ったのか、横に並んでアリアの顔を覗き込んだ。
あなたも少しだけどこっちの世界にずれてるみたいね。
「アリアは天使をみたから」
あぁ、だから
彼女は空を仰いだ。枝と枝の隙間からは鋭い三日月が見えた。
なら気をつけたほうがいいわ
女の真っ赤な唇が耳まで裂ける。
月夜の晩には、私たち、生きてる人間を呪い殺したくなるの
特にあなたのようなずれてる人間は――暗闇に燈された火のようで、黄泉からは見えやすいのよ
気をつけて





「すっかり暗くなったね」
すぐ後ろを歩くルージュが呟いた。暗闇の中では彼女の赤い髪が異様に目立つ。
「アリア、大丈夫なのかしら。こんな山の中に一人で入っちゃって・・・・・」
自分の術で造った灯火を掲げながらファルシオンはため息をついた。
「あの子はねー・・・・・・元気なのはいい事だけど恐いもの知らずだからねー・・・・」
「迷子になってなきゃいいんだけど・・・・・」
と、ファルシオンのかざす灯火に向かって何かが横切った。炎が揺れて彼らの影が大きく揺らぐ。
ファルシオンは眉をひそめた。この火は風には揺れないはず――と、いうより魔力によって造られている為に実のあるものには触れられないはずなのだが。
不意にざわざわとした気配が森の中に漂い始めた。ファルシオンは空を見る。月が煌々と光っている――彼はルージュに知ってるかい、と聞いた。
「霊って月夜が大好きなんだってさ」
ルージュが声にならない悲鳴を上げる。
森の木々が腐りだしたように爛れ始め、階段と頂上まで続く鳥居は、何かおぞましい生物の腸内と赤い骨の門になった。
爛れた森には黒い影がぼんやりと立ち尽くしてこちらを見ている。光のない眼差しで。
空に浮かんでいるはずの月は何かの目玉になっていた。血の様な色をした月がギョロリとこちらを見る。
世界が、ズレた――ファルシオンは灯火に息を吹きかけ、光量を強くした。影がさらに濃くなりあふれ出す。
「・・・・・・影?影なら――」
独り言のように呟き、ルージュを引き寄せてファルシオンは言う。
「僕もたいしたものじゃないけど――持ってるんだぜ」
彼の影が動き出し、彼らに立ちはだかるように寄り添い立つ影たちへと黒い手はのびていった。





まるで、以前に彼女が起こした”世界の終末”のような風景だった。けれどもあのときほど、終末の気配はここにはない。
今夜は何か強い力を感じる
皆いつもよりも強く具現してるみたい

後ろを走る(足が無いのにどうやって走っているのかはわからない)女が呟く。アリアは身軽に階段を駆けて行く。
「夜になると、いつもこうなるの?」
満月の夜と朔の夜はね
けど今日は特別
 
アリアの問いに、彼女は下方を見て目を細めた。
ズレてる人間が多すぎるみたいだから
次第に辺りが僅かに明るくなっていく事にアリアは気づく。階段が先で途切れていた。もうすぐで頂上だ。
森から現れた虚ろな影に捕まらないように、アリアは全力疾走する。森を風のように駆け抜け、そして、森が開ける――
「・・・・・・・わぁー」
思わずアリアは声をあげ、見惚れてしまった。
目玉のような月の下、輝いているのは薄い桃色に輝く満開の桜の木だった。
「きれい。これがサクラ?」
そうよ
呪われた桜 

「のろわれた?」
ああ、今日もやってるわ、あの馬鹿な男 
女は桜の木を見ながら冷笑を浮かべた。
今日も明日も明後日も、あの木の下でひとり待ってるわ
アリアは目を凝らす。
桜の木の周りには、森の中に居た虚ろな影たちが群がっていた。皆一様に桜の木を目指しているようだが・・・・・・その行く手を阻む者が一人。
みつおみぃィィイィィ!!!!
唐突に横に居た女が突如鬼のような形相で桜の木の元へと突っこんだ。影たちを薙ぎ倒し、足の無い体で這いずるように一直線に突き進み――襲い掛かる。
「!」
彼は咄嗟に持っていた刀で彼女を跳ね上げた。
「カシマ!?」
今日こそあんたを堕としてやるよ!!!
女――カシマという名前なのだろうか、彼女は器用に地面に着地すると、男との間合いをとる。
邪魔だ、退け
カシマの言葉に影たちが退く。月夜の下でアリアは初めて桜の木を背に立つ男をしっかりと見た。
男、というよりはアリアとそう歳も離れて無さそうな少年のようだった。暗い色の着物を着て、頭にはバンダナのようなものを巻いている。水色のマフラーが印象的だった。
この街の住人だろう、同じ系統の服を着ている――が、髪はアリアと同じ金色。彼の雰囲気は、異国情緒に憧れた外国人のようだとアリアは思った。
「てめぇ・・・・・・朔の日でも満月でもないってぇのに、何故こんなにも強く具現しやがった!」
カシマは涼しげに答える。
さあ、ズレてる人間たちがたくさん入ってきたからじゃない?
「なんだと?」
番人失格ね
だから、さっさと――

カシマが駆け出す。
くたばれっつってんだよ
両手で地面を強く叩き弾き、カシマの体が宙に舞う。彼女はそのまま、刀を構える男へと急降下した。だが男はカシマの伸ばした鋭い手を防ぎ、彼女を振り払う。
そして地面に転がったカシマを追い、今度は男が走り出した。彼女に向かって刀を振り落とすが、彼女は速く、斬撃を次々とかわしてゆく。
まるで見えない二人の攻防にアリアはせわしく首を動かしながら見ていた。どちらかといえば・・・・・カシマの方が優勢だ。
一瞬の隙を見てカシマが男の肩に噛み付いた。ばきっという生々しい音がして、男が顔を歪ませる。
だが彼は鋭い目つきでカシマを睨み下ろすと、彼女を突き飛ばして間合いを取り低い声音で叫んだ。
「てめぇがくたばれ・・・・・!」
その瞬間男の手から眩いほどの光が溢れ、一閃、カシマを貫いた――ように見えたが、彼女はすんでのところで光をかわし、それは彼女の周りに群がっていた影たちを貫いて消えた。影は霧散して次々と闇夜に消える。
これは、まるで・・・・・・アリアは息をのむ。
「ファルシオンといっしょ」
ファルシオンの使う、魔術と彼の呼ぶ力に似ていた。ただし彼の力は意味ある文字を描く事によって行使される。今使われたこの力は、何を媒体によって行使されたかアリアにはわからなかった。
男はそのまま腕を天に伸ばし、何かを叫ぶ。
すると眩い光の柱が地表から次々と現れ、『世界の終末』のような風景を薙ぎ払っていく。月は白く輝き空は黒く広がり、踏みしめていた地面は暖かい大地に戻っていた。
ただ桜の木だけが変わらずそこにあった。花をつけた枝が風に揺れる。
男は力尽きたかのように地面に座り込んだ。大きく肩で息をしており、消耗が激しいようだった。
くそっ・・・・・光臣めっ・・・・・・!
回りにいた影たちは桜の木に吸い込まれるかのように引きずられていく。その中にはカシマの姿もあった。
だが彼女は抵抗した。自分の傍に居た影を喰らうと、影を飲み込んだその口から黒い気を矢のように噴き出す。それは疾風の速さで男を襲う。
アリアは駆け出した。
「危ないっ!」
男を突き飛ばし、黒い矢はアリアの背中すれすれを突き進み、空中で霧散した。
ちっ・・・・・ カシマが舌打ちする。が、彼女は苦笑を浮かべながら桜の木に引き込まれて消えた。
良いタイミングだったわよ、お嬢さん
また月の綺麗な夜に会いましょう・・・・・・
カシマの笑い声だけが静けさを取り戻しつつある森の中に響いた。
「・・・・・・世界が・・・・・・もとにもどった」
気が抜けたようにアリアはため息をつく。世界は平常な夜へと戻った。ああ、月と桜が綺麗な夜だ。
「いてててて・・・・・」
と、背後から聞こえてきた声にアリアは振り返る。
見ると男は木の幹で頭を下にしてひっくり返っていた。頭を打ったようで抑えて呻いている。
「だいじょうぶ?」
アリアが手を伸ばすと、男は弾かれたように飛び上がって体勢を直し、彼女に向かって怒鳴った。
「大丈夫じゃねぇよ!なんで人間がここにいる!!」
思いがけない言葉にアリアは目を瞬かせる。う、あ、と言葉を濁して桜の木を指差す。
「アリアはあの木が知りたくて――」
「うるせぇ、人間はさっさと出て行け。さっきみたいな目にあいたかねぇだろ!」
本気で怒っているようで、彼は目を吊り上げて捲くし立てた。
憮然とした顔でアリアは男を見る。
「・・・・・・・・・。」
アリアはぼそりと呟いた。
「アリアはたすけなきゃよかった・・・・・・」
だが聞こえていたようで、男はふんと鼻を鳴らす。
「あんなの簡単に避けれたぜ。まったく余分な手助けしやがって」
「おまえしねー。ばーかばーか」
「馬鹿って言った方が馬鹿だばかやろうが!」
頭に血が上っているのか男は激昂してアリアに言い返した。アリアも舌を出し、そっぽを向く。
「アリアはかえる。ばかがうつる」
「ガキはさっさと帰って寝てな。もうここに来るんじゃねぇぞ!」
誰が来るものか、とアリアは肩を怒らせて踵を返した。だが、数歩歩いたところで腕を掴まれ、引き止められる。
「なに」
振り向くと男は少し心配そうな表情をしていた。アリアの腕に視線を落とし言う。
「お前、腕に怪我――」
言いかけたところで彼の横っ面に黒い靴がめり込んだ。
「俺の連れに何してんだぁーッ!!!」
男が悲鳴を上げながら横に吹っ飛ぶ。
醒めた目で事を見つめていたアリアは、自分の目の前に着地した人物を見て少しため息をつく。
「大丈夫だったか、アリア?」
心配そうに言い寄ってくるのはファルシオンだった。その後を息を切らせたルージュが姿を見せる。
「あ・・・アリア!捜し、た、わよ」
「なんだったんだいったい。君は急にこの山に登っちゃうし、『終末』のような事が怒り出すし・・・・・・」
「おばけがね、おばけが一杯出てきて私恐くて恐くて・・・・」
「霊たちを除けながらここまで来たんだ。アリアは何もされなかったかい?」
半無き状態のルージュをなだめながらファルシオンが辺りを見渡し、再び木の幹で転がっている男に気づき視線を止める。
「アリアを見つけたと思ったら、君があいつに捕まえられてるのが見えたんだ。咄嗟に蹴ったけど・・・・・・」
打ち所が悪かったのか、気絶している男を見てファルシオンがぽつりと呟く。
「霊って蹴られるもんじゃないよな」
「・・・・・・たぶん生きてるよあの人。れいやかげたちとたたかってたのをアリアは見た」
アリアの言葉にファルシオンは引きつった笑顔で、二人の手を引いた。
「とりあえず帰ろうか。夜も遅いし、帰りも恐いし」



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彼が目覚めると、すぐ傍には救急セットと水が置かれてあった。
いまいち気絶する前のことを覚えていないため、彼は首を傾げながら木の幹に座り込んだ。