ヘルメットを被り、シートをまたいで乗り込む。
母親に見送られながらクロエは家を出た。
工場が閉鎖された今、あの頃とは別物かと疑うぐらいにこの街の空は青い。

あの日、アリアが旅立った日の様に青い。



* * * * *




「その子供をこちらに渡してもらおう」
寄りかかって歩いていた彼女たちの前に、目を覚ましたらしい街の住人たちが立ち塞がっていた。かなりの数だ。
先ほどまでの狂気はないようだが、その顔には恐怖の色がありありと浮かんでいた。
「アリア・・・・・・」
クロエはアリアを引き寄せ、住人たちを睨む。
「あんたたち・・・・・この子をどうする気よ。これ以上、この子を追い詰めて何するつもりなのよ!」
だが住人たちは負けじと言い返してきた。
先頭に立っていた中年の男が声を張り上げる。
「さっきの事を忘れろと言うのか!我々は死に掛けたんだぞ!!」
「そんなの、あんたらがこの子追い詰めたからじゃない!!」
「君と違って、俺たちはその子に憎まれてるんだ!!なんでそんな逆恨みしているような子供を野放しに出来る!!
そんな奴がこの街に住んでいたら俺たちの身が安全かどうかなんてわからないじゃあないか!!」
「なっ――」
あまりに自己中心的な考えにクロエは言葉を失った。
そして思わずアリアを見る。
アリアは俯いたまま、再び耳を塞いでいた。うるさいと呪文のように呟く彼女の小さい声が聞こえてくる。
このか細い少女をまたしても追い詰める街の住人たちへの怒りが限界まで上がる。
クロエは拳を握り、声を荒らげた。
「あんたら、この子がどれだけ――」
「――ははは。笑えるね」
場違いな低い笑い声にその場が静まる。
クロエは声の主を見上げた。
今までクロエたちの後ろで黙っていた男――ファルシオンが笑っていた。
任せて、とクロエに目配せをして前に進み出る。
「逆恨み、ねぇ」
アリアの頭にぽんぽんと手を乗せ彼は軽快な声で言った。
「その言葉は――この中で一人でも、この子を助けてあげた人が居た場合に言うもんじゃないのかな」
誰も反論できなかった。
沈黙の中、耳から手を離したアリアは彼を見上げる。
彼はアリアの頭を撫でたまま彼女に言いかける。
「・・・・・僕らには、君のやった事だ正しいのか間違っているのかなんて決める事は出来ない。裁く権利もない。
だから、君のやりたいようにやればいい。君の生き様は君の自由だ」
再び先ほどの惨事が起こるのかと住人たちの顔に恐怖の色がさらに濃く浮かぶ。
その言葉にさすがにクロエも声を上げた。
「ファルシオンさん――」
「いいんだ」
クロエの言葉を制し、彼は泣きそうな顔のアリアに笑いかけた。
「君はあらゆるものから自由なんだから。やりたいようにやればいい。
それで変わってしまうほど――世界はちっぽけなものじゃないんだよ」
アリアは小さく頷いた。



* * * * *




「・・・・・ごめんなさい、ファルシオンさん」
「君が謝る事じゃないよ。しょうがない事だし」
街の人々に急き立てられ、そう日も経たないうちに彼は早々に街から追い出された。
街を見下ろす事のできる丘の上、クロエは申し訳無さそうに首を横に振る。
「ううん、やっぱり謝っておかないと。アリアを助けてくれたっていうのに・・・・・」
「あの子を救った最後の決め手はあの子自身さ。・・・・・君みたいな良い友達がいたから良かったよ」
彼はそう言って笑い、荷物の入った小さな鞄を背負った。
「じゃあ――そろそろ行こうかな。
色々とありがとうクロエさん。元気で」
「うん・・・・・」
はにかみながら応え、そして――
「・・・・・アリア。元気でね」
彼の後ろで恥ずかしそうに俯いていたアリアの肩を叩く。
彼女は髪を切り、ファルシオンに買ってもらった服を着ていた。春らしい可愛い服だった。それを着ている彼女はやっぱり可愛い。そうずっと思っていたクロエはその事を誇らしく思う。
「体に気をつけなさいよ。淋しくなったら――手紙でも送ってよ」
「・・・・・・・・・・。」
ファルシオンに背中を押され、アリアは俯いたままクロエの前に立つ。その姿に苦笑した。
「ファルシオンさんに迷惑かけちゃダメよ」
「・・・・・クロエ」
頬を紅潮させてアリアは顔を上げた。
「クロエ、アリアは世界を見てくる」
「・・・・・うん」
「アリアの力がちっぽけだって事知る為に――広い世界を見に行ってくる」
「うん」
よしよし、と満足そうに胸を張りクロエはアリアを抱きしめた。

「いって――らっしゃい」





* * * * *





「あー、クロエー!!」
街を抜けかけた道で学校の友人に会う。
バイクを止めてヘルメットを脱ぎ、クロエは彼女たちに手を振った。
「やほ。皆、今帰り?」
「うん。それより、もー、ビックリしたわよクロエ。急に学校長期休みとったって」
「うん、こりゃ留年だね」
「自信持って言うなっての!
・・・・・って、わーすごいクロエ!ホントに二輪の免許取ったんだねー!!帰ってきたら乗せてね」
「あはは、ごめんこれニケツ出来ないんだー」
口々に騒ぐ友人たちと一緒にはしゃぐ。そして――
「でもさー、いきなり世界旅行するとか言い出しちゃって。本気なのー?」
クロエは頭をかきながら苦笑した。
「いやー、アレはちょっと言いすぎた。お金もないし、とりあえずは海まで行こうかなーって」
「海までも遠いよー。3日はかかるんじゃない?」
「いいのよ肩慣らしって事で」
ヘルメットを被りなおし、クロエは再びエンジンを掛けた。
「んじゃあたし、行ってくるよ」
「気をつけてよー」
友人たちに見送られながらバイクを走らせる。
「クロエー、待ってるからねー!!」
「うん、あたし、見てくるから!広い世界を見てくるからー!」


青い空の下、バイクを走らせクロエは小さな旅に出た。
クロエの世界を壊して行ったあの日の彼らと同じように、旅に出た。




END